ある日、高齢の男性が自宅トイレで倒れているところを発見されました。直ちに病院へ救急搬送されましたが、死亡が確認されました。当初、死因が不明であったことから異状死体の届け出がされ、私が死体検案を行うことになりました。ご家族からお話を伺い、心疾患の既往があることがわかり、死体検案で死因を決めることができました。その時、男性が生前にアイバンクに登録しており、死後に眼球を提供したいという意思を表示していたことが判明しました。もちろん、ご家族は男性の生前の意思に報いたいとのことで、眼球摘出に同意されました。
私は死体検案終了後、直ちに臓器移植ネットワークに連絡をしました。しばらくして、眼球摘出を担当する医師が到着され、改めて家族から移植を前提とした眼球摘出の同意を得た後、所轄警察署の霊安室内で眼球摘出が行われました。男性から摘出された2つの眼球は、その後角膜移植に使用されました。
わが国では昭和33年に「角膜移植に関する法律」が施行され、死体の眼球から角膜移植をすることが法的に可能になりました。その後、角膜移植術による視力障害者の視力の回復および腎臓移植術による腎臓機能障害者に対する腎臓機能の付与に資するため、死体から眼球または腎臓を摘出することなどを規定した、「角膜及び腎臓の移植に関する法律」が昭和54年に制定されました。しかし、この法律では変死体(簡単に言えば異状死体のこと)あるいは変死の疑いがある死体からの眼球摘出が禁止されることとなりました。
平成9年に「臓器の移植に関する法律」が施行され、これに伴って「角膜及び腎臓の移植に関する法律」は廃止されました。「臓器の移植に関する法律」では脳死体からの臓器移植が認められるようになりましたが、同法では刑事訴訟法第229条の検視、その他の犯罪捜査に関する手続き終了後に臓器を摘出することを認めるようになりました。すなわち、「犯罪捜査に関する活動に支障を生じることなく臓器移植の円滑な実施を図る」ことが明記され、異状死体からの臓器提供も可能になりました。
現在では同法の改正によって、本人の生前の意思が書面で確認されなかったとしても、家族の書面による承諾があれば摘出が可能となっています。
角膜移植のための眼球摘出は、死後12時間程度まで可能と言われています。したがって、今回のように異状死体であっても、検視や死体検案といった刑事訴訟法上の手続きが終了すれば、移植を前提とした眼球摘出は可能ということです。
角膜移植は、角膜の障害による失明に対する唯一の根治療法で、昨年の3月末日で1613人の角膜移植希望者がいました。したがって、角膜提供登録者による崇高な意思が何とか反映されるような配慮が必要です。
心肺停止患者などを多く扱う救急医療や死体検案に従事される先生方におかれましては、心肺停止後の眼球摘出の可能性を念頭においてください。