2回連続して義太夫の話題であります。興味のない人には誠に申し訳ないことではございまするが、何卒おつきあいをば。
今、お稽古をしている狂言は、「絵本太功記十段目 尼ヶ崎の段」である。けっこう長くて、一段を語り切るには1時間以上かかる。
なので、それを10の部分にわけて、少しずつ稽古を進めていく。おさらい会が年に2回あるので、続けてやっても5年がかりになる。私の場合、この夏の会でようやく9割まで到達したので、あと一息というところ。
義太夫の稽古には3つのやり方がある。まずは「訛り稽古」。これは節をつけずに床本(=台本)を読む。義太夫浄瑠璃は、その発祥の関係から大阪弁で書かれているので、大阪訛りで読むことになる。しかし、江戸時代から語り継がれているものなので、現代の大阪弁とは微妙に違うのが悩ましい。
つぎは「叩き稽古」。義太夫は三味線に合わせて語るのだが、叩き稽古は三味線なし。拍子扇を使って、口移しで教えてもらう。お師匠さんが短い詞章を義太夫節で語られて、それをそっくり真似るというやり方だ。
簡単にできるように思われるかもしれないが、独特の節回しがあるのでえらくむずかしい。何度も何度も、時には10回以上も繰り返さないとダメな箇所が出てきたりする。
本来のお稽古は三味線付きだ。カラオケならぬカラ三味線があれば便利なのだが、無い。三味線は伴奏ではなくて、太夫との掛け合いだからというのがその理由である。
いつもは三味線付きのお稽古がメインなのだが、コロナ自粛期間はもっぱらZoomでの叩き稽古。すごく細かいところまで繰り返し指導してもらえたので、ずいぶんと上達した(←あくまでも本人の感想です)。
録音して、繰り返し繰り返し語る。おさらい会までには、総計200~300回くらいにはなるだろうか。読書百編意自ずから通ず、どころではない。その何倍も、しかも音読である。不思議なもので、何度も何度も語り続けているうちに、内容の理解が細かいところまでどんどん深まり、登場人物たちの心情に対する共感がいや増してくる。
そんな状態での「尼ヶ崎の段」観劇である。なにしろ感情移入が尋常ではなかった。いままでに観たどのような演劇や文楽よりも心に沁みた。言ってみれば、5年がかりでようやく味わえる感激だ。こんな経験、きっと最初にして最後なんやと思っとります。
なかののつぶやき
「義太夫を習い始めてもうすぐ7年。始めたころは、5年もしたらそこそこ語れるようになるかと思っていたのですが、なかなか。やればやるほどむずかしさがわかってきます。教則本や『カラ三味線』があったらもっと速く上達するんちゃうんか、と思ったりもしますけど、そういったものがないのが、こういう習い事のええとこなんですよね。きっと」