No.4767 (2015年09月05日発行) P.17
長尾和宏 (長尾クリニック)
登録日: 2016-09-08
最終更新日: 2017-02-13
先日あるメディアに勤務医が書かれた「自宅での看取りをあまり啓発しないでほしい」という文章がふと目に止まった。「家が一番」というキャンペーンは「大切な家族を家でケアしない人間は冷たい人間だ」というメッセージを与えてしまうのではないか、という指摘である。ふと、80代後半になる自分自身の母親の顔が目に浮かんだ。現在要支援2でなんとかおひとりさまの在宅療養が継続できているが、さらにADLが低下した時にどうしようか?仕事があるので、やっぱり施設だろうか。こうした漠然とした親の介護の不安を抱えて働いているのが、多くの50代、60代の医師であろう。
「あれだけ在宅は良いと言っていたのに、自分の親は施設かよ」と言われるのではという想いと、「言動一致で無理してでも在宅介護に挑戦しようか」という想いが交錯している。これまで「在宅での平穏死」を説いてきたものの、自分自身の親のことになると自信がない。父親を自宅で看取られた医師で作家の久坂部羊先生の真似はとてもできそうにない。
もし在宅医療や在宅看取りという言葉自体が、病院や施設を選んだ子供や家族を不快な思いにしていたのなら、大きな思い上がりだったかもしれない、と反省している。医師の仕事は総じてハードで不規則なので、家族が重大な病気になった時に在宅療養ができるとは限らない。これまで医師の親御さんを在宅で何人か看取らせていただいたが、どの先生もそれぞれに仕事と在宅介護の両立に相当苦労しておられた。もちろん現在進行形で、仕事と介護の2役をこなしている先生もたくさんおられる。
在宅での平穏な看取りがどこか「理想論」のように語られている。一方、その実現のために必要な様々な社会資源(家族の介護力、地域の医療資源、訪問看護ステーションの人員、地域の医師数、などなど)の不足・偏在という大切な課題が解消されていない現実が置き去りにされている。
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