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宇田川玄真(10)[連載小説「群星光芒」120]

No.4695 (2014年04月19日発行) P.70

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-04-05

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  • 「おまえを離縁して長い年月がすぎた…」

    玄白はおちくぼんだ眼をしばたたいて玄真の顔をじっとみつめた。「その間、おまえは見事に立ち直ったと多くの者から聞かされた。よくぞ身を改め、辛苦に耐えてこんにちにいたった。この日がくるのをわしは鶴首して待っていたぞ」

    そのしみじみとした口調に玄沢と伯元も感慨深げにうなずいた。そして玄白は厳かに申し渡した。「本日只今より榛斎こと宇田川玄真の杉田家出入り禁止を解き、わが『天真楼』の門人として帰参を許そう」

    玄真は額を擦りつけて声を絞りだした。

    「まことにありがたきご厚遇に浴し、やつがれ、このうえなき幸甚に存じます」

    玄白は再入門のしるしに玄真に盃を与え、くつろいだ表情でいった。

    「おまえが遊里にうつつをぬかしていた頃、わしは娘に責められたものじゃ。あの放蕩者をさっさと追い出せとな」

    「面目ありません」と玄真は恐れ入ってふたたび這いつくばった。首筋から冷や汗がしたたりおちた。

    「周囲からは今に玄真は小浜藩主の御顔に泥をぬる羽目になるといわれ、わしもおまえを放逐せざるを得なかった」

    そこで玄白は遠くを見る目つきになり、

    「それなのにおまえは見上げるような蘭学者になった。『男子三日会わざれば刮目して俟つべし』とはよくいったものだ。危うく角を矯めて牛を殺す所だった」

    「とんでもないことです。先生に破門されねばまともな者に立ち返ることは叶いませんでした」

    玄真は玄白の寛い心に感謝して幾度となく叩首した。

    玄真の許婚となる筈だった蘭は名を八曾と改め、いまや23歳の妙齢の婦人となっていた。当時はまだほんの少女だったが物思う年頃に夫となるべき人の不祥事を知り、悲しみに明け暮れた。世の無常を感じた八曾は、将来断じて夫を迎えまじ、と意を固めた。一度決めたら梃子でもうごかぬ娘である。八曾は自分の決心をあらわすかのように未婚でありながら御歯黒にした。そんな八曾の心情を哀れに思った玄白は、亡き妻登恵の縁故を通じて八曾を伊予国(愛媛県)大洲藩の江戸屋敷に奥女中奉公をさせた。

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