医師に憧れる弁護士は結構多いんじゃないかと思っています。
弁護士が対峙すべき相手方は「人間」です。弁護士をしていると、単純に「相手方から恨まれる」ということもありますし、当方の「正義」と相手方の「正義」のぶつかり合いによる葛藤もあります(少なくない弁護士が「正義」という言葉を嫌うのは、「正義」が多義的だと強く感じているという事情があります)。傭兵稼業である弁護士からみると、医師が対峙すべき「疾患=絶対悪」という図式に憧れを抱くのも無理はありません(弁護士には、応招義務がないという点は気楽とも言えますが)。
しかし、それは「隣の芝生は青い」的な、きわめて表面的な見方であって、医療現場はそんなに簡単なものではないと思っています。本質的に言えば、医師は「患者やその家族の人生そのもの」をケアしていると考えるべきでしょう。疾患に対する一定の解答はあれど、その患者やその家族の人生に対する正解はないのかもしれません。人口に占める高齢者の割合が増えれば増えるほど、そういった悩みも増えるでしょう。そのような現場で、よりよい医療が日々生み出されています。だからこそ、医師には患者や疾患に対峙し、「悩む時間」を増やしてほしいと思っています。
一方で、医師は常に最前線の「プレイングマネージャー」の役割を求められます。その上、医療を取り巻く状況はますます複雑化しています。残業代請求をはじめとする医師の長時間勤務の問題、医療スタッフのマネジメント、医療費の増大、保険診療の難しさ、そして、コロナ禍への対応。こういった医療現場そのものの問題でない部分で、医師の「悩む時間」が奪われることを危惧しています。
このような問題に対する分析や選択肢の提示は、弁護士等の専門家が対応すべきでしょう。私は、医師が「悩む時間」を増やすことが、我々「医師を支援する専門家」の使命だと考えています。弁護士を含め、医療現場をサポートできる専門家が増えることを願っています。