“人生100年時代”、メディアが声高に紹介する私たちの令和時代。仮に100年生きるのであれば、雅趣豊かな長寿でありたい。
2015年に国連が採択した「持続可能な開発目標(SDGs)」17項目に、“すべての人に健康と福祉を(あらゆる年齢のすべての人の健康的な生活を確保し、福祉を推進する)”が含まれる。その延長線上に人種や地域を問わず地球上のすべての人々が享受できる、心穏やかな、そして雅趣に富む老後が期待される。果たしてその手立ては?
2020年初頭から世界を震撼させるCOV ID-19により医療体制や生活様式が一変した、“ニューノーマル”。グローバル化を推進してきた世界に真逆の鎖国を強いるとともに、診療をオンラインに、学会をWeb開催に、エンタテイメントを無人の無機質な時空へと変化させて、人々をリアルな交流からデジタル画像のVRへと導いている。一方で、心痛む誹謗中傷・詐欺行為の横行など、予期せぬ衆悪に気持ちが暗くなることも少なくない。その苦境にあって私たちは、かのSDGsを見据えて心身ともに健全な営みに向け知恵を絞らねば。
今を時めくAIが人類の生き残りに不可欠なkeywordsとして、「利他的行動」と「道徳心」を挙げた。両者は背中合わせ、いずれも医療人のあり様に通じる“解”でもある。他者に寄り添い、心寄せ気を配り、共感する。その日々の積み重ねの先に、気がつけば100歳を数えた、という長寿を望みたい。“惻隠の心は仁の端なり”、孟子は既にAIの域に達していたのかも。
私の大叔父は家督を末弟に譲り昭和初期に米国に渡った。西海岸で事業家として地歩を固めたものの第二次大戦中はキャンプに強制収容、終戦後40年が経過してレーガン大統領時代に市民権を回復した後、シアトルにて103歳の大往生を遂げた。その年の春、100歳違いの愚息(長男3歳)を連れて大叔父宅で会食した。少量の白ワインをゆっくり楽しむ柔和な表情、背筋の伸びた佇まい、そして保持された認知機能に畏敬した。予期せぬ他界であったが、激動の人生ながらどこか牧歌的な103歳の好々爺に、“惻隠の心”こそ雅趣豊かな長寿の秘訣とみた。