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歯の磨き方で生き方が決まる[エッセイ]

No.5052 (2021年02月20日発行) P.60

神田 晃 (弘前大学大学院医学研究科食と健康科学講座 准教授)

登録日: 2021-02-21

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歯の磨き方を見ればその人となりがわかる、という話である。

「習慣がある」とは、個人が、ある特定の行為を、毎日1度以上行っていて、それを数カ月間以上継続し、今もその行為を続けている状態をいう(平成27年の国民健康・栄養調査で、運動習慣のある者とは「1回30分以上の運動を週2回以上実施し、1年以上継続している者」であると定義している)1)。したがって、習慣は、雨が降ろうが、風が吹こうが、寒かろうが暑かろうが、外泊しようが国外にいようが、欠かすことなく行ってこそ持っていると言える。

「食後に歯を磨く習慣」を、誰もが聞いたことがあろう。“それぐらい私もしているよ、歯磨きぐらいやったから何だっていうの?”しかし、そう嘯く人達の多くを厳密に観察すると、きちんとやっていない、それほどやさしくはないことだとわかる。

朝食後と夕食後に歯を磨くことはできよう。しかし、昼食後の歯磨きはできるだろうか、しているだろうか。もし“昼食後は例外だよ、外にいるからね”と言うなら、それは習慣ではない。「朝食後と夕食後に歯を磨いている」だけのことである。

昼食後も歯を磨くには、歯磨き道具一式を携帯する、または、職場や出先に歯磨き用具一式を常置している、という環境をつくった上で実行する。人の迷惑にならずに歯を磨ける場所の確保も必要である〔一次予防を実行するために必要な環境づくりは、PDCAサイクルのPlanに該当するという考えを私達は持っていた。しかし、2年前の管理栄養士国家試験問題では、環境づくりという行動はDoに当たるという見解であった。中村好一自治医科大学地域医療学センター公衆衛生学部門教授は、予防行動実行のための環境づくり(例:運動普及のためにウォーキングロードを充実する)は、一次予防の前段階なので、いわば「ゼロ次予防」に該当すると強調した〕2)。昼食後の歯磨きは、「頑張ればできるかも」と「大抵はできない」の中間に位置する難しさがある(『1Q84』の冒頭、「タクシーに乗っていた青豆がFMから流れる交響曲に、“この曲がヤナーチェクのシンフォニエッタだと分かる人がどれ程いるだろうか。恐らく、ほとんどいない、少しはいるの中間ぐらいであろう(大意)”それを知っていた青豆は、生き方が、大抵の人とは違うということが分かる」とある)3)

シングルルーム1泊8000円程度のビジネスホテルへ宿泊する場合、洗面室兼浴室に、小さな歯磨きチューブと歯ブラシが置いてあると期待できる。2人で泊まる場合は2人分ある。しかし、これは日本の話で、海外ではたとえ高級ホテルでも歯ブラシが置いてあることを期待できない。私は10箇国でそれを経験した。持参した歯磨き粉(歯磨剤)が底をつき、歯ブラシもくたびれたので、ザルツブルクの街中の薬局に行って歯ブラシを買い、デュルンシュタインの中心街の雑貨店で歯磨き粉を買った。ところが、歯ブラシのサイズが大き過ぎ、毛並みも固く、ブラシの縦幅は私の前歯の上下寸を超えていた。歯磨き粉の匂いと味は日本のとは違い、ハンドクリームを塗って泡立てているようで、口中に残って欲しくない香りだった。

私が常に思うのは、習慣を続けるには、いろいろな事態が起こることを想定し、適切な道具、実施環境を整えておくことが肝要ということである。

歯磨き粉、歯ブラシがなくなった場合は、代用品を使う。歯磨き粉の代わりに食塩で磨く。歯ブラシの代わりに爪楊枝や糸で磨く。出先で買った歯ブラシが合わない際は、鋏で毛先を切るなどして自分の歯に合わせることができよう。


「楽しければ続く、楽しくなければ続かない」とよく言われるが、歯を磨くという行為は楽しいだろうか。“いやーっ、歯磨きって本当に楽しいですね。それではまたご一緒に楽しみましょう”4)と故・水野晴郎氏の決め台詞の如く言う人がいるとしたら羨ましく思うだろう。特に中年男性の多くは、家族に言われて嫌々、渋々、歯を磨いている。これは強要された習慣であり、楽しくないことを1日1回以上延々と継続している。distressになる習慣であるから、健康的ではない。

強要された習慣は、続かないか、続けていても楽しくない。したがって上手にならない。上手にならない人はそれを他の人に勧めることができない。“歯は磨いたほうが良いよ”という不親切な言葉は、人を傷つける。

もし習慣が自発的なものか、何となくでもやっているものであれば、より続くであろう。五木寛之氏は、「私の知人Aは、毎朝、体を左右へ一寸捻る体操を、毎日30年以上続けている。身体に良いのかどうかなんて知らないがまあこれだけはやっているんですよ、という。こういうのが良い」と随筆で述べた5)。五木氏は、専用道路でのジョギングやフィットネスクラブ通いのようなブームとしての運動を肯定せず、本当に自分に合った健康行動とは何か、の中でこの例を記した。


再び歯磨きの話である。歯磨きという習慣を楽しく行うことはできるか。できる。それは、①~⑤のどれか1つを感じて行動すればよい。

①歯磨きという行為自体が楽しい→1000人に1人はいるのではないか。歯磨きの香りで顔色が良くなって嬉しいとか、歯ブラシの毛先が歯と歯の間でチクチクする痛さがたまらないとか。

②歯磨きによって健康上の利益がある→虫歯(齲歯)になりにくい、歯周病予防になる、歯茎が強くなる、糖尿病の予防になる、などの健康上の利益を得る楽しみ。ただし、病気になっていない人が病気の予防のために行うという一次予防は、あまり期待できない。一次予防こそは、厚生労働省が国民健康づくり運動(健康日本21)で十数年にわたり強調する国民への呼びかけであるのだが。

③歯磨きによって自分が社会的に認められる→私の前の職場のある広報部男性職員が、昼休憩の終わり頃、机に座った私に顔を近づけ、仕事の質問をした。強いラーメンの香りがして、それが彼の吐く息からとわかった。香りは顔や衣類からも少し漂った。私は思わず嗅覚を遮断しようと思ったぐらいだが、指摘するのは他の職員がいる手前避けた。彼は、外部のクライエントや同業者と始終話をする仕事である。それなのに、昼食で食したラーメンの香りを放って人と接し気づかれた。これは大きなミステイクであろう。もし彼が、「接客の際には清潔なイメージを持たれること」6)を大切にしていたら、こんな行為をしたであろうか。食事の後は必ず歯を磨き、食べた料理によっては洗顔もして、スプレーで衣類の消臭も行ったのではないか。彼は、昼食後、歯磨きをせず、そのことを自分は気づかず人に気づかれた。職員のマナーとして最低であり、彼が上司から認められない理由となっていたのは、彼が1年後に退職したときわかった。「他山の石」、「人の振り見て我が振り直せ」に倣い、私は、昼食後歯磨きをし、料理の蒸気が顔へ当たったと思われるので洗顔する。その際、鏡に無精髭が残っていないか、髪の毛は乱れていないかもチェックすることができる。職場の若い人達から、「神田さんは違う。石鹸の匂いがする」と言われる。これは大変気分が良い、楽しい瞬間である。私は歯を磨くという1つのことに絞って記してきた。そのたったそれだけの習慣によって私は喜ばれる。

④歯磨きをすれば人に褒められる→習慣をこれといって持たず、何事も続きにくい人が、もし歯磨きという一行為を毎日続けるようになったらどうか。「あなたどうしたの? 随分きちんと磨いているね」と褒められる。この人は一寸変わったな、と周囲の人に思われる。そんな楽しいことを、歯磨きという1つの行為で得られるのは、儲けものであろう。

⑤歯磨きが誰よりも上手くなると面白くなる→靴を履くのにも、ハンカチを畳むのにも上手い下手がある。「私は誰よりも上手い歯磨き法を実行している」と言えたら気分が良い。自分からそれをアピールするのは外連なので、さり気なく行うことを勧める。歯を磨く音、磨いている姿勢、歯磨き後の洗面台の水滴を拭き取り……。歯を上手く磨く人はマナーも向上するのである。


歯磨きにも哲学がある。村上春樹氏は、“オン・ザ・ロックの氷にも哲学がある”と随筆で述べた。「ウイスキー・オン・ザ・ロックの氷は何でも良いのではなく、アイスピックで搔かれた、色々な大きさと形が混じったのが良い。大きな塊だけだと冷え方に偏りができ口当たりも良くない。小さな塊だけだと直ぐ溶けてウイスキーが薄くなってしまう。大中小の氷塊が入り混じり、ウイスキーがその氷間を畝る、そこに現れる味わいが、ウイスキーをこの上なく旨くする。(大意)」7)。村上氏の言いたかったのは、何にでも哲学がある、ということである。

ハンカチを畳むのも、鉛筆を削るのも、万年筆をオーバーホールするのも、それに臨んで、対峙する物体に敬意を払い、使用する行為を尊び、それにより得られる現象に耳順い、次の体験の糧とする。この行為をするか否かで、人の生き方が決まると私は思う。

【文献】

1) 厚生労働省. 平成27年国民健康・栄養調査.

2) 神田 晃, 他:健康教育・健康管理のレシピ. 南山堂, 2005.

3) 村上春樹:1Q84 BOOK 1. 新潮社, 2009.

4) 水野晴郎:水曜ロードショー. 民放TV制作(後に「金曜ロードショー」に名前が変わった。映画放映前後に入る解説の、最後の一言として1970年代に有名になった).

5) 五木寛之:大河の一滴. 幻冬舎, 1998.

6) プレジデント書籍編集部, 編:超訳・速習・図解 成功はゴミ箱の中に 億万長者のノート. プレジデント社, 2012.

7) 村上春樹・安西水丸:ランゲルハンス島の午後. 光文社, 1986.

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