No.4817 (2016年08月20日発行) P.74
仲野 徹 (大阪大学病理学教授)
登録日: 2016-09-16
最終更新日: 2017-01-13
孫のできる年頃である。同級生のお祖父ちゃんたちは、孫の話に相好を崩しまくるし、写真を携帯の待ち受けにするし、みな猫かわいがりだ。決してそのような祖父にはならぬと、かねてから宣言してきた。
子どもが嫌いかというと正反対で、かなり好き。それだけではなく、子どもにもえらく好かれる。2~3歳までの子には、電車の中などで微笑みかけられることも多い。一度など、3駅くらいの間、バギーに乗った子どもにじ~っと顔を見続けられて、お母さんに謝られたことがある。ん?ひょっとしたら、わたしの顔が子どもにとって単におもろいだけなんやろうか…。
「孫はほんまにかわいいんやから」と、皆が言う。自分の孫だからという精神ではなく、単に子どもとしてかわいがるつもりではある。しかし、そのために積極的に時間を費やすほど、私の人生は長くない。
などと考えているうちに次女が懐妊した。出産の暁には「父上、生まれました」、「おぉ、男か女か?名前はどうする」。などという会話を交わしたいところだ。が、いまや何カ月も前から性別がわかっていて、名前まで決められているので、そんなことにはならない。とはいうものの、初孫ができればすぐ見に行きたい。なので、予定日をにらんで夏休みをうんと後にずらした。
テント泊のトレッキングに行くので、予行演習をしておきたい。うまい具合に鹿児島大学にお招きいただいたので、足を延ばして屋久島の宮之浦岳へ行くことに。青々とした山並み、豊富な水に苔むす岩と木、そして巨大な杉、実に素晴らしかった。1泊2日の行程は、人も少なく携帯電話もほとんど通じず、まるで天国だった。
2日目の朝、ひさしぶりに電波の届く場所で着信の合図があった。何と、次女から「生まれました」のメール。おいおい、出発前に「予定日まで3週間あるし、昨日の検診では子宮口が閉まったままやから、まだまだ生まれへん」言うてたやんか…。
急いで帰ろうにも帰れず、押っ取り刀で、生まれて2日近くたっての初対面とあいなりました。かわいがらない宣言をしているおじいの心を汲んで、やきもきさせないように、早く生まれてきてくれたんかもしれんなぁという気がする。が、「そんな気を遣っても、宣言は取り消さへんぞ」と心の中でつぶやく偏屈な祖父になりました。