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「神田川」の想い出[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(385)]

No.5096 (2021年12月25日発行) P.69

仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

登録日: 2021-12-22

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喜多條忠さんがお亡くなりになられた。若い読者にはわからないかもしれないが、あの「神田川」の作詞者であるといえば、一定以上の年齢の方にはピンとくるはずだ。

妹さんはちょっとしたご縁で存じ上げているのだが、残念ながら、ご本人にお目にかかったことはない。それでも、その訃報を新聞で目にした時、決して大げさではなく、ひとつの時代が終わったという気がした。

思い出の曲である。と書くと、同棲生活を懐かしむ内容なので、歌が流行っていた頃そのようなことをしていたと思われるかもしれないが、それは違う。まだ高校2年生だったんやから。修学旅行の頃に大ヒットしていたので、バスの中で歌いまくっていた。

「あなたはもう忘れたかしら」で始まる歌詞、さかりがつき始めたような高校生男子には理解できようもなかったが、なんせよく歌った。大学は自宅から通えるところにと決めていたけれど、同棲してこんな生活ができたら楽しいんやろうなぁと想像していた。東野圭吾の本のタイトルではないが、「あの頃僕らはアホでした」状態である。

南こうせつに作詞を依頼された放送作家・喜多條忠が、橋にかかっていた「神田川」というプレートを見つけ、学生時代の思い出が蘇って一気に作った。その詩章を電話で聞きながら書き取り終えた時、南こうせつの頭に名曲のメロディーが浮かんだという。

ご本人が語っておられるとはいえ、伝説みたいな話なので、いささかの誇張もあるかという気がしないでもない。しかし、こういう話を聞くと、音楽の女神というのはきっと存在するに違いないと思えてしまう。

南こうせつが「『いつかきっと青山にでっかいビルを建てて、みんなで夢を語れる自由なお城を作ろうよ!』と語り合ったのがつい昨日のことのようです」という追悼のコメントを出していた(「スポーツ報知」より)。喜多條忠作詞でかぐや姫が歌った「マキシーのために」の歌詞にもこれと同じようなフレーズがある。おふたりはホンマにそんな青春を送ったはったんやなぁ。ちょっと感動。

その死を知った日の早朝、嵐のような天候の東京から、「神田川」や「マキシーのために」も収録されているアルバム「かぐや姫フォーエバー」を聞きながら、のぞみに乗って帰阪した。西へ向かうにつれて天気が次第に晴れていく中、虹がいくつも表れては消えていった。なんとも哀しい朝だった。

なかののつぶやき
「『神田川』とほぼ同時期に同じくらい大ヒットしたのがチューリップの『心の旅』でありました。その年、1973年のヒット曲を見てみますと、トップはなんと、宮史郎とぴんからトリオの『女のみち』で、ベストテンには、ちあきなおみの『喝采』や沢田研二の『危険なふたり』とか。どれも、そこそこ歌えてしまうのが凄い。こんな『国民的ヒット曲』が出る時代ではなくなってしまったのは、ちょっと寂しいような気がします」

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