六代目・豊竹呂太夫師匠に義太夫を習い始めて、もう8年が過ぎた。上達してはいるが、亀のような歩みでしかない。それでも、お稽古のたびに、あぁこんなに義太夫が好きなんやわと思えるだけで幸せになる。
始めたきっかけは、親炙している思想家・内田樹先生のご指導だ。年をとると誰も叱ってくれなくなるから、習い事をすべきである。それも、できたら日本の伝統的なものを「旦那芸」として楽しむのがよい、と。
『老後とピアノ』は、伝統芸ではないけれど、ピアノを53歳で習い始められた、というか、より正確には、子ども時代から40年という長いお休みを経て再開されたお話だ。
著者は元朝日新聞記者の稲垣えみ子さん。名前は知らなくても、むっちゃ勢いのあるアフロヘアの元記者さんといえば、わかる方もおられるだろう。50歳で早期退職して、電気代200円以下で暮らす清貧生活に突入。その考え方や生活を綴った『魂の退社』(東洋経済新報社)が結構話題になった。
「退社して時間ができたら、まだ元気なうちに、ずっとやりたくてもできなかったことに挑戦したい」そのひとつが、ピアノだった。そして、プロのピアニストに習い始めて猛練習、3年でバッハやショパンを弾けるようになったというから大したものである。
私が義太夫を習い始めたのは56歳なので、似たようなタイミングだ。稲垣さんも私もプロに直接指導を受けている。それに、発表会の緊張感や仲間達の演奏や語りを聞く素晴らしさも共通している。しかし、ピアノと義太夫には決定的な違いがある。
義太夫は「語り」だから、たとえ節が下手くそでも詞章を読むことくらいできる。それに対して、ピアノは技術的なことをクリアしなければ曲にならない。この違いはかなり大きい。義太夫が易しいという訳では決してないが、少なくとも初心者にとってのハードルはピアノの方がはるかに高い。
稲垣さんの涙ぐましい努力、(たぶん)相応の上達、さらにはピアノを習う、弾く、聴く喜びが活き活きと描かれている。「野望を持たず、今を楽しむ。自分を信じて、人を信じて、世界を信じて、今を遊ぶ」そして「老人は今に全てをかけるのだ」という悟りのような境地に到達されていくのがすごい。
どんな習い事でも始めるには勇気がいる。しかし、絶対に始めたほうがいい。人生100年時代、習い事は必修課題だと考えないと。
なかののつぶやき
「前著『一人飲みで生きていく』(朝日出版社)では、居酒屋で一人飲みができるようになるまでの挑戦や葛藤が描かれています。いやぁ、アフロ稲垣、さすがに何をさせてもチャレンジャーですわ」