「♪思いこんだら試練の道を 行くが男のど根性」往年のテレビアニメ「巨人の星」の主題歌「行け! 行け! 飛雄馬」の歌い出しだ。
グラウンドをローラーで整地している映像がバックなので、「思いこんだら」を「重いコンダラ」と聞き違えて、整地ローラーの名称を「コンダラ」と、それこそ思いこんだ人がたくさんいた、という有名な話がある。どうやら根拠のない都市伝説らしいのだが、人口に膾炙したのは、同じような思いこみや思い違いをする人が多いからだろう。自慢じゃないが、もちろんわたしにもある。
考えてみたらまったくアホなのだが、ひとつは、神社の灯籠の下の段に彫られている「中子氏」について。「仲野氏」とか、寄附した人の名前が彫ってあることがよくある。しかし、あまりにもたくさんの神社に「中子氏」がいるではないか。長年の間おかしいと思っていたのだが、ある時ハタと気が付いた。
名字はどれも「氏野仲」とかのように右から左へと書いてあるのに、なぜか「中子氏」だけは左から右だ。そうか、これも右から書いてあるんや! 氏子たちがみんなで寄附した「うじこじゅう」やったんや! 「月極駐車場」を、「つきぎめ」ではなくて「ゲッキョク」の駐車場がたくさんあると思っていたという都市伝説のリアル版やないか。トホホ。
世間的には無名だが、我が家のすぐ近くに「強頸絶間の碑」がある。これは思い違いかどうか微妙なところもあるのだが、その強頸絶間さんの伝説をめぐる話である。その人について、子どもの頃に祖父から聞いた。
淀川に堤を築くのが難渋したので人柱をたてることになった。その相談のための寄合で、強頸絶間が、着物の裏につぎあてのついている者を人柱にしようと言い出した。そうしましょうとみんなの着物を調べてみたら、なんと自分の着物につぎがあたっていた。で、人柱にされてしまったという話である。
徹はあわて者だから、しっかりと物事を確認してからものを言えよ、という教えだとずっと思っていた。ところが、友人によると、その解釈は間違えているという。つぎあてのことは最初から知っていて、皆に気を遣わせることなく自ら犠牲になるためにそう発言した。そこがポイントなんやと。
へ、そうなん? 確かにその方が話に重みがある。しかし、じいちゃんはそんな高尚なことを伝えたかったんやろうか。今年で50回忌やから、もう聞くわけにいきませんわ。
なかののつぶやき
「強頸絶間の話は日本書紀に載っているけれど、祖父から聞いた伝説のような内容ではないみたいです。けど、今回書いた話は近所で育った友人も知ってたから、界隈では語り継がれてきたもののはずです。歳をとって、あわて者はだいぶマシになったように思いますが、皆のために命を捨てるような犠牲的精神を持ち合わせるようにはなってませんわ」