定年というシステムはなかなかの優れものである。なによりいいのは、一切の説明なしに仕事を辞めるきっかけを与えてくれることだ。働くのがあまり好きでない私のような者にとって、このことはほんとうにありがたい。もうひとつのいいところは、来し方をしっかりと振り返れるところだろう。
それまで全く経験がなかった研究をスタートしたのは27歳の7月のことである。65歳の3月でキッパリと引退なので、38年弱、13788日間になる。中原中也の詩「頑是ない歌」ではないけれど「思えば遠く来たもんだ」とつぶやいても十分なくらいには長い。
まだ研究を始める前、結婚式の祝辞で、ある先生から、「仲野君はすこし勉強したらすぐにわかったような気になってしまうが、学問というのはそういうものではない」という戒めのお言葉をちょうだいした。
おっしゃるとおり、そんな生意気な若者だった。それに、すごく飽きっぽい性格だ。なのに、ちょっとやってみようと始めただけの研究をこんなに長く続けたのである。我ながら偉いと思ってもバチはあたらんだろう。
実力があったからだ、と言いたいところだが、そこまで自己肯定的ではない。これはもう謙虚でもなんでもなくて、最初から最後まで信じられないくらいの幸運に恵まれ続けたからだと判断している。
ポジションを得るのに困ったことはないし、研究費については、多すぎて使い道に困ったことはあったが、足りなくて困ったことは一度たりともない。全論文数は192編で、自分が中心となって出したのは69編とあまり多くはない。しかし、被引用回数の平均が150前後というのは悪くないはずである。
研究というのは、基本的にはつらいことばかりだ。研究者生活を振り返ると、大きな発見は数年に一度くらいしかなかった。残りの間は雌伏、といえば聞こえはいいが、我慢だ。それに、努力や才能だけではどうしようもなくて、幸運に大きく左右される。じつは、若い人に研究を勧めたことはほとんどない。それは、これらのことを自分の中でいまだに消化しきれていないのが最大の理由である。
とはいえ、やはり研究には向いていたのだと思う。だが、もう一度人生をやり直すとして、研究を選ぶかと聞かれると、Noと答えたい。楽しい研究者生活でしたけど、次のラウンドもこんなに幸運に恵まれると思えるほどおめでたくはありませんわ。
なかののつぶやき
「連載も残すところあと3回になりました。今回からは『未来への負債』と題したエッセイを3回連続です。ちょっとわかりにくいタイトルだし、今回の内容はあまり関係ありません。が、次回以降、おいおいおわかりいただけるかと。考えても意味のないことですが、医師として一生を送ってたら、どんな人生やったろうなぁと夢想することがあります。きっとこんなにも幸運には恵まれなかったように思うんですけど、どうやったでしょうね」