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山本周五郎の『失蝶記』─聴覚障害の侍[エッセイ]

No.5116 (2022年05月14日発行) P.64

高橋正雄 (筑波大学名誉教授)

登録日: 2022-05-15

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1959(昭和34)年に山本周五郎が発表した『失蝶記』(山本周五郎全集第28巻、新潮社刊)は、山本周五郎には珍しい幕末物で、谷川主計という聴覚障害のある武士を描いた作品である。


主計が聴覚障害者となったのは、大砲試射時の事故のためである。その日主計は、王政復古をめざす藩の仲間たちと、浜辺で大砲の試射を行おうとしていた。

しかし、主計たちが5間ほど離れた所で、仕様書通りに両手で耳を抑えながら発射を待っていると、それまで火口や撃鉄を調べていた2人の砲手が突然、耳を塞ぎながら主計たちのほうへ逃げてきた。大砲の火口から煙が立ち、砲手の顔がひきつっているのを見た主計は、咄嗟に「失敗したのだ、このままでは砲身が破裂してしまう」と判断し、「ただもうその砲を失ってはならないという気持」から、砲身に向かって走り出した。主計は、このモスチール砲を手に入れるまでの苦心と、再び手に入れることの困難さを思ったのである。

しかし、主計が大砲まであと一歩というところで砂に足を取られて転倒した瞬間、砲身が破裂した。主計は失神し、体に怪我はなかったものの、以来、両耳の聴覚を失ってしまったのである。

もっとも、当初は一時的なものと思っていた主計は、医者に掛かりながら、「久しぶりに静養だ」と暢気に構えて、「もう暫くの辛抱だ」と自分をなだめすかしていた。

しかし、その後医者から不治と宣告された主計は、「気が狂うか」と思うほどの絶望に襲われた。主計は、家に籠もったきり、同志が訪ねてきても会おうとせず、家族とも没交渉に過ごすなど、「気持がやや落ち着くまでに、30余日もかかった」のである。

その上、こんな状態では、「みんなの足手まといになるばかりではなく、進退緩急の機をあやまって事のやぶれを招くおそれもある」と考えた主計は、同志から脱退したばかりか、家督も弟に譲って、隠居所に移った。「父母にも、弟や妹にも顔を見られたくない」と思った主計は、「食事も召使にはこんでもらって、一人きりの生活を始めた」のである。

もっとも、体自体に故障はなかったため、早朝の沐浴を欠かさず、朝夕の2回くたくたになるまで組み太刀の稽古をしたほか、余計なことを考えないよう、晴雨にかかわらず、読書や習字の日課はきちんと守った。主計は、聴覚障害を抱えた隠居生活においてなお、規則正しい生活を維持する律儀な青年だったのである。

そんな日々を送る中で、主計にはある変化が起こる。主計は「うしろの物音を感じとることができる」ようになったことに気づくのである。「物音でなくとも、人の近よるけはいでも、ふしぎなほど敏感にわかるのです。人間が生れつき備えている自己保護の本能とでもいうのでしょうか、誇張して言うと、蝶が舞いよって来るのも感じとれるくらいでした」。

だが、この時、「どこかが不具になると、それを補うように、体の機能が変るんだな」と感じた主計は、こうした現象を「体そのものが不具者になる用意を始めた」と考えて、医者から不治を宣告された時よりも激しい絶望に押しひしがれた。

そして、一旦は仲間から脱落することを決めた主計であるが、かつての同志たちが藩吏に捕われたことを知るや、反対派を殺害する必要があると考え、「おれはこんな不具になってほかの役には立たないが、この役なら間違いなくやってみせる」と決心する。そして、残された仲間と示し合わせた主計は、反対派の中心人物を殺害しようとするのだが、その時、仲間の裏切りにあった主計は、間違って幼い頃からの親友を殺してしまう。しかも、その親友は、主計から斬られそうになった時、暗闇の中で必死に人違いであることを訴えたのに、聴覚に障害がある主計には伝わらなかったのである。


すなわち、『失蝶記』は、聴覚障害があるがゆえに欺かれた男の悲劇と言うこともできるが、この物語の鍵となるのは、聴覚障害もさることながら、むしろ主人公の強い役割意識や責任感ではないかと思われる。

というのも、そもそも主計が聴覚障害になったのは、大砲の発射実験が失敗した時に貴重な大砲が壊れてしまうことを恐れるあまり、周囲の制止を聞かずに大砲に近づいたためである。また、少年時代から誰よりも親しく、兄弟より信じ合っていた友人を間違えて斬ったのも、元はと言えば、「事を起こす時が迫っているのに、自分は脱落者として、ただ傍観していなければならない」ことを苦にした主計が、「この役なら間違いなくやってみせる」と、自分が所属する集団・組織のために役立ちたいという役割意識に駆られての行為であった。

つまり、主計が聴覚障害者となった理由も、欺かれて友人を殺してしまった理由も、その背後には主計の人一倍強い役割意識や責任感が作用しているのであって、その意味ではこの物語は、日本的な組織では高く評価されがちな性格特性が災いをもたらした悲劇と見ることもできる。

なお、この作品には、主計が、自らの聴覚障害が不治だと知った時の気も狂わんばかりの衝撃から、次第にそれを受け入れていく障害受容の過程が描かれているほか、聴覚を失った主計が、それを代償する形で感覚鋭敏になったと語っているあたりは、山本周五郎の病跡学的な認識を示唆するものとして、興味深い記述である。事実、主計は、これ以外の場面でも、「聴力を失ってから、考えることが心の内部へ向くようになっていたため」に、「山の林の中で石楠花の蕾が赤くふくらんでいるのをみつけ、胸の奥がせつなく、熱くなるように感じ」たとか、「赤くふくらんだ石楠花の蕾を見たとき、しんじつ胸の奥に火でも燃えだすような感じがした」と語っているのであって、これらの記述は、山本周五郎もまた、障害があるがゆえの感覚の鋭敏化や感受性の高まり、内面への志向といった病跡学的な現象に着目していたことを示すものである。

ただし、主計の場合は、代償的な感覚の鋭敏化という現象を、新たな能力の獲得として喜ぶのではなく、「体そのものが不具者になる用意を始めた」と考えて、絶望しているところが特徴的で、主計は自分の役割意識に忠実なあまり、新たな価値観を受け入れがたかったように思われる。

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