筆者はこれまで、1889(明治22)年、森 鷗外が27歳の時に発表した『ルーソーガ少時ノ病ヲ診ス』1)こそは、わが国における最初の病跡学的な論考ではないかという視点から、鷗外の病跡学者としての側面を検討してきたが2)~4)、その過程で、鷗外が近代病跡学の祖とでも呼ぶべきロンブローゾやメビウスの著書を読んでいた可能性が高いと考えるようになった。
というのも、たとえば、1909(明治42)年に発表した『ヰタ・セクスアリス』5)には、鷗外がロンブローゾやメビウスの病跡学に関わる著作を読んでいたことを示唆する、次のような記述がみられるからである。「小説家とか詩人とかいう人間には、性欲の上には異常があるかも知れない。この問題はLombrosoなんぞの説いている天才問題とも関係を有している。Möbius一派の人が、名のある詩人や哲学者を片端から掴まえて、精神病者として論じているも、そこに根柢を有している」。
また、1914(大正3)年に発表された『「天才と狂人」序』6)にも、「私は多くLombrosoの書を読まない。しかし嘗て少しく窺った所から判断すれば、此人は斬新な説をなすことに長じていて、其説を構成するには余り精細な工夫を費さないかと疑われる」、「此人は非常に多く実例を集めて、帰納的に証明をなそうとしているが、其例は余り綿密に選択したものではないらしい」といった、ロンブローゾに対する批判的なコメントもみられる。
そこで、東京大学附属総合図書館の『鷗外文庫目録』を調査したところ、果たせるかな、Lombroso C. の『Genie und Irrsinn』と、Möbius PJ. の『J.-J Russeau’s Krankheitsgeschichite』,『Über Das Pathologische bei Nietzsche』という書名が掲載されていて、その実物も同図書館に保管されていることが判明し、同図書館の協力を得て、鷗外蔵書中のこれら3冊の実物を検分することができた。
東大総合図書館が鷗外文庫の1冊として所蔵しているLombroso C. の『Genie und Irrsinn』(天才と狂気)は1887年の発行、13.5×9.5㎝、厚さ2.2㎝のレクラム文庫版で、全434頁である。
本書は、鷗外が1884(明治17)年から1888(明治21)年にかけてドイツに留学している間に発行された版であるため、鷗外がドイツ滞在中に購入したものである可能性が高い。また、もしそうだとすれば、鷗外の病跡学に対する関心は、早ければこの『Genie und Irrsinn』が発行された1887年(25歳)にまで遡ることができるわけで、この点でも鷗外は、わが国で最も早く病跡学に関心を抱いた人物の一人ということになる。あるいは、鷗外が本書を購入したこの時点こそが、日本人が近代病跡学に出会った最初の時という言い方もできるのかもしれないが、本書には鷗外の書き込みは皆無である(唯一、15頁の欄外下に意味不明の曲線が引かれている)。
鷗外文庫として保存されているMöbius PJ. の『J.-J Russeau’s Krankheitsgeschichite』は、22×14.8㎝、厚さ1.3㎝のハードカバーで、全191頁である。1889年の発行で、鷗外が4年に及ぶドイツ留学から帰国した翌年、奇しくも鷗外が『ルーソーガ少時ノ病ヲ診ス』を発表したのと同じ年ということになるから、自分同様、ルソーの病跡に興味を持っているドイツの精神医学者がいたことを知った鷗外の心中は、いかばかりであったろうと推測させる本である。
しかし、この本にも書き込みはほとんどなく、序言の最初の頁に線が4本短く引かれているほかは、141、143、147の各頁の欄外に、短い縦線が引かれているだけである。
Möbius PJ. の『Über Das Pathologische bei Nietzsche』は、23.5×16.2㎝、厚さ1.1㎝のハードカバーで、全106頁である。1902(明治35)年の発行で、鷗外が40歳になった年である。本書は、前二書とは異なって、3頁ある序言の全頁に下線が引かれているのをはじめ、7頁から106頁までの本文のほぼ全頁に下線が引かれていて、下線が引かれていないのは99頁と100頁のみである。また、下線は、1頁に1~2行の場合もあるが、最も多い頁では43行中20行前後に下線が引かれている頁もあるなど、鷗外が本書を丹念に読み込んでいた様子がうかがえる。
また、下線以外にも、鷗外自身の手になると思われる書き込みが、24頁、28頁、31頁、80頁、101頁、106頁の6頁に確認されたが、判読しがたいドイツ語らしき単語が多く、今回かろうじて判読できたのは、下記の3箇所のみである。
①24頁の24行目から右欄外にかけて、「selbst~:自制」という言葉が記されている。
②28頁左欄外に、「proflnnatisch!!」と記されている。
③80頁12行目右上に「auch ich bin」と記されている。
なお、鷗外蔵書中の下線ならびに書き込みは、上記3冊のいずれも、薄めの鉛筆で、それほど筆圧を加えない形で記されている。
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以上が、今回調査した鷗外蔵書に収められている病跡学関連の図書の概要である。
今回の調査の結果、鷗外が近代病跡学の創始者的な存在であるロンブローゾやメビウスの病跡学に関わる書物を所持していたことが確認され、改めて鷗外がわが国ではいち早く病跡学に関心を持っていた人物の一人であることが明らかになった。特に、メビウスのニーチェ論は、全文を丹念に読んだ形跡が歴然としていることは、鷗外が、一定の批判的な視点は保ちつつも、病跡学に高い関心を抱いていたことの証左と思われるが、こうした病跡学的認識が鷗外の疾病観に与えた影響については、今後の課題である。
【文献】
1)森 鷗外:ルーソーガ少時ノ病ヲ診ス. 鷗外全集第29巻. 岩波書店, 1974, p20-6.
2)高橋正雄:医事新報. 2005;4245:39-43.
3)高橋正雄:日病跡誌. 2007;73:62-5.
4)高橋正雄:ドクトル・リンタロウ─医学者としての鷗外. 文京区立森鷗外記念館, 2015, p54.
5)森 鷗外:ヰタ・セクスアリス. 鷗外全集第5巻. 岩波書店, 1972, p83-179.
6)森 鷗外:「天才と狂人」序. 鷗外全集第38巻. 岩波書店, 1975, p283-4.