2006年2月に産婦人科医が、業務上過失致死罪と医師法第21条違反で逮捕される事件が起きました。「大野病院事件」と呼ばれ、胎盤が子宮筋層に侵入して自然に剝離できない癒着胎盤に対して、予見できず無理にクーパーで切離したための出血死をきたしたと、福島地方検察庁から起訴された刑事事件です。これに対して、産婦人科のみならず医療界が、医師の医療上の行為が刑事事件に発展したこと、医師の裁量権の問題に踏み込んだことについて、猛反発しました。結果は、無罪となりましたが、その後、医療事故調査制度が設立されるきっかけとなりました。
私は、同年の3月に国立循環器病センター(現国立循環器病研究センター)周産期科の部長として勤務していましたが、同様な癒着胎盤の症例に出会い、クーパーで癒着部を切離し、切離部を縫合止血する手術を行いました。これは、私が2000年初めに癒着胎盤における子宮温存法として開発したもので、帝王切開で胎盤が癒着した子宮を腹腔外に出し、子宮頸部を手やネラトンカテーテルで絞扼し、2本の子宮動脈と2本の卵巣動脈の血流を遮断する方法で、ターニケット・テクニークと名付けました(Ikeda T, et al:J Obstet Gynaecol Res. 2005;31(1):27-31)。
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