老中を免じられた佐倉藩主堀田正睦は文久2(1862)年11月に老中在職中の不届きを理由に公儀より蟄居を命ぜられた。翌年5月、正睦は体調を崩して病臥したので佐藤泰然はたびたび横浜の甥山内六三郎の家から佐倉まで往診して治療に当たった。しばらく小康を保っていた正睦だが、元治元(1864)年1月に病状悪化を知らされた。急いで佐倉に向かったが、薬石効なく同年3月21日に逝去した。享年55だった。亡き藩主を悼む厳かな葬儀が挙行され、
「時勢をまてばご活躍の機会も巡ってきたであろうに」
と、泰然は胸に大きな空洞が開いたような虚脱感を覚えずにはいられなかった。
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