No.5149 (2022年12月31日発行) P.63
小豆畑丈夫 (青燈会小豆畑病院理事長・病院長)
登録日: 2022-12-16
最終更新日: 2022-12-16
この連載は“医療の正義”というテーマで1年間続けてきました。今回が最終回です。内容を振り返りました。新型コロナが、私達がめざす医療を変えてしまったこと。医師をめざす若者の思考が変わったことに私がついていけず、医療教育とは何なのか? 悩んだこと。在宅医療の現場で医師が患者家族に殺害される事件が起き、医療者−患者関係の神話が失われたこと。
私が連載を続けた1年間だけで、私が抱く「医療のあるべき姿」がこんなに揺らぎ続けました。このことで私は不安を抱き、それは今も続いています。
「医療の正義」なんてこだわらないで、淡々と仕事をこなせばよいのでは? という声が聞こえてきます。しかし、医療者は理想を持たないと続けられないのではないか? とも思います。それは、医療者の存在自体が、運命的に矛盾を抱えているからです。私達は患者を救うことを使命としているのに、治せない病気はたくさんあるし、誰もが最後は亡くなります。その矛盾の中に私たちは立っています。立ち続けるためには、自分を支えてくれる「理想」が必要なのだと思います。
私が時々お話をさせて頂く占い師さんから教えて頂きました。「悩みを抱えた医師がたくさん相談にいらっしゃいます。でも、弁護士や裁判官といった人にはお会いしたことがありません。人を裁く立場なのだから、いろいろと悩みそうですけどね」。私はその理由を考えました。弁護士や裁判官は法律の世界に生きています。法律は人間がつくったものですから、彼らは了解可能な世界で生きています。しかし、医師は生命の世界に生きています。なぜ人は生まれ、なぜ死んでいくのか? 誰も理解できません。了解不能な世界で生きているために、医療者は悩み、時に占いに頼る必要があるのではないのでしょうか?
「了解不能な医療」に正義など存在するのか? さらにわからなくなります。あるかないかわからない正義を持たなければ、立っていることが難しい医療者は、その存在意義さえ見失ってしまいそうになります。
このやっかいな「医療の正義」について、私は考え続けてきました。生命という了解不能な世界の中で、立ち上がっては足下をすくわれ、理想を求めれば叩き潰される。それでも、医療の世界でまっすぐ前を見て、悩みながら立ち続ける。その立ち続けること自体が、私たち医療者の正義ではないか。これがこの1年考え続けた私の、今のところの到達点です。
小豆畑丈夫(青燈会小豆畑病院理事長・病院長)[医療の正義⑮]