東京オリンピック・パラリンピックが終了して1年以上が経過します。わが国で初めてオリンピックが開催された後の昭和39年に、国民の健康・体力増強策について閣議決定がされました。東京オリンピックによって国民に健康や体力づくりのムードが高まったことも一因です。
現在は、1日30分以上の運動を週に2回以上実施し、それを1年間継続している人を、「運動習慣のある者」と定義しています。この割合は高齢者で高く、70歳以上の男性で42.7%、女性で35.9%です。しかし、働き盛りの壮年で低く、男性は40歳代で18.5%、女性は30歳代で9.4%です。政府は健康づくりのための運動指針などを定めていますが、青壮年が気軽に運動できる環境が必要です。
朝、公園などで主に高齢の方々が集って、ラジオ体操をされています。体操を行うのは健康を意識してのことです。体操は、今では身体の円満な発育や発達を助けて健康を保持・増進する手段として広く受け入れられています。しかし、その歴史をみると、決して身体に良いというだけの理由で受け入れられてきたのではないことがわかります。
明治維新後、平民による軍隊を形成することが決められましたが、一人前の兵士にすべく、身体機能の向上に向けて行われたのが「体操」でした。明治11年に当時の文部省は、東京・神田一ツ橋に体操伝習所を設け、体操の研究と指導者養成が行われました。
当時米国では、体操とは身体の医学的(生理学的)機能を良好に保つために体を動かす、という認識でした。そこで、米国のボストンからリーランドという青年内科医を招聘することで、体操・運動の基礎が築かれました。しかし、当時は戦争間近の混乱の時代です。号令で整列したり、皆が揃って動くなどはもちろんのこと、軍隊が行うような歩兵体操を学校教育に組み込むように政府がしむけたのです。すなわち、体操の中には軍隊にあるような集団秩序の訓練が含まれました。
大正から昭和にかけても、戦争を意識してか、学校の体操の時間に歩兵訓練といった軍事訓練もどきの教育が行われたそうです。そして政府は、学校に通わない一般市民にも体操を促そうとしました。それが、ラジオ体操の始まりにつながったのです。
ラジオ体操は、昭和天皇の御即位を記念して始められました。昭和3年に逓信省簡易保険局が「国民保健体操」と称して当時のラジオ体操第一を制作し、NHKで放送を開始しました。そして、今のように公園で皆が集って体操する姿は昭和5年頃からみられたそうです。東京・万世橋警察署の巡査が、地域の住民を集めて近所の公園で早起きラジオ体操会を始めたのが由来と言われています。そして、東京都千代田区神田佐久間町にある「佐久間公園」はラジオ体操発祥の地と言われ、石碑が建立されています。
体操は、筋力の増強、柔軟性や巧緻性の養成によって運動能力を向上させ、さらに健康を保持することこそが目的です。オリンピックが終わった今こそ、本来の体操の目的を再認識して、患者さんに体操を勧めてはいかがでしょうか。