農林水産省は、2023年8月8日に「不測時における食料安全保障に関する検討会」の初会合を開いた。新型コロナ禍における物流の停止、気候変動による不作、ロシアによるウクライナ侵攻などで食料供給の環境が大きく変わるなか、平時と不測時の切替えを含め、関係省庁の連携を強化し政府全体の体制整備を進めるのだという。
農林水産省によれば、2022年の食料自給率(カロリーベース)はわずか38%である。米国、カナダ、オーストラリア、ブラジルからの輸入が多数を占める。G7の中でも食料自給率が50%以下の国は他になく、日本の食料自給率が50%以下になったのは1989年であった。それ以降、30数年にわたり改善はみられない。国内で生産できないものはお金を出して買えばいいとばかりに、世界有数の経済大国として、カロリーベースで食料の半分以上を輸入に頼ってきたのである。
フランスのシャルル・ド・ゴール大統領(1890〜1970)は、食料を外国に頼る国家や民族を独立国家とはいわないと明言し、食料自給率を高めることに成功したことはよく知られている。
1980年代に、インドネシア共和国北スマトラ州で国際協力機構(JICA)の専門家として母子の健康改善に従事していたとき、国家栄養改善委員会に招聘されたことを思い出した。国民栄養所要量を決める会議に、保健大臣だけでなく、農業大臣、財務大臣なども参加し、最後には大統領も議論に加わっていた。動物性蛋白質の所要量を増やすためには、牛肉や鶏卵の自国生産をどのように増産するのか? 漁業の振興は可能なのか? 国民が必要とする基本的な食料は自給するという大前提で、理想と現実のバランスを考慮しつつ真摯な議論が行われていた。栄養という科学と、産業振興という政治が、国民の健康を増進するという目標に向かい協働する現場を、1人の外国人専門家としてたまたま垣間みることができた。
当時のインドネシアはスハルト大統領の開発独裁の時代であり、強権的な政治により多くの人命が失われ、各地で人権が抑圧され、不正な蓄財が横行していた。それでも、国の安全保障の観点から、食料を輸入に頼らないという原則は貫いていたのである。
私自身は、国際保健医療協力のアジアやアフリカのフィールドで、飢餓の悲惨さに接する機会があった。パンデミックなどで不確実性が増し、不安定な政治体制が揺れ動く世界の中で、豊かだった日本においても、いつ再び第二次世界大戦後のような食料不足の事態に陥らないとも限らない。そのためには、不測の事態を乗り切る方策を講じるだけでなく、平常時からの食料自給率を高めていくことが絶対に必要である。食糧自給率を高めることは、人口が減少する日本の喫緊の課題である。日本の医療者や公衆衛生研究者の中で、命と健康に直結している食料自給率に対する関心が高まることを期待したい。
中村安秀(公益社団法人日本WHO協会理事長)[食料自給率][食の安全保障][栄養][多分野協働]