最近安楽死をめぐるドキュメンタリー報道が目につく。番組の中では、難病の患者がどれほど疼痛や症状に苦しんだかが本人、家族の目線で語られ、安楽死が合法の国に渡り、医師の手によって薬物で死が幇助される様子や、本人の遺言の内容などが克明に映像で報じられる。番組はテレビだけでなくインターネットを介して写真記事や動画でも配信、拡散される。記事ページ下部には、「安楽死をどう思いますか」というオンラインアンケートがつき、肯定する人80%という結果が、グラフで可視化される。
ここで多くの人は「安楽死は是か非か」「日本では認められていないが、患者の自己決定権は」「医師が患者に薬物投与するのは自殺幇助ではないか」などと議論し、多くの学者は尊厳死と安楽死と自殺の違いについて検討し、臨床では緩和ケアや終末期医療の場面で、患者の苦しみや要望に医師が葛藤する。
しかし私のように自殺予防を専門とする者からすると、ここで最も懸念するのは安楽死の是非ではなく、死に関するメディア報道の手法である。自殺は、メディア報道の内容によって増加することが、「自殺の伝染」という言葉で既にエビデンスになっている。有名人の自殺やめずらしい自殺方法が報じられるほど、その手法を真似る模倣自殺者が増える。同じ動機を持つ人の自殺も報道で増える。このため世界保健機関(WHO)は、自殺の報道ガイドラインを作成し、自殺をセンセーショナルに報じること、遺書や手段を具体的に報じることなどを禁じている。2023年に改訂されたガイドラインでは、自殺について単一の動機を当てはめて報じることも新たに禁じている。単一の動機で自殺することが当然のように報じられると、同じ境遇の人たちに、その動機なら自殺が社会に許容されると学習されるからである。
すると、難病を動機に安楽死を実行する経緯を詳細に報じることは、自殺のメディア報道と同様の効果、重い病気があるなら死んでよい、というステレオタイプを社会に広め、ひいては模倣自殺を増やすことにつながる恐れがある。同様のことは、いじめ自殺の報道でも生じている。頻繁に報じられるいじめ自殺であるが、警察庁の自殺統計では、直接動機がいじめの自殺は年間数件もない。しかしメディアはいじめを単一動機とする青少年の自殺を報じ続けるため、一般の人は若者の自殺動機はいじめだと誤解する。近年青少年の自殺が増えているのは、「いじめ自殺」という言葉に端的な、いやなことがあったら自殺するという単一動機報道が子どもたちにインターネットを介して学習されている可能性も否定できない。
死は社会的学習においてのみ理解される現象である。なぜなら、誰もそれを自ら経験できないからである。安楽死を含む死のメディア報道は、死の様態を問わず、偏った社会的学習と自殺の増加に寄与していないだろうか。
太刀川弘和(筑波大学医学医療系災害・地域精神医学教授)[メディア][安楽死][報道ガイドライン][いじめ自殺]