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【識者の眼】「精神科診断の客観性について」堀 有伸

No.5243 (2024年10月19日発行) P.62

堀 有伸 (ほりメンタルクリニック院長)

登録日: 2024-09-30

最終更新日: 2024-09-30

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かつて、精神科の診断はとても恣意的だとみなされていました。たとえば、同じ患者が米国とイギリスにおいて、一方では統合失調症と、他方では双極性障害と診断される。そのような事態が生じ、問題とされました。

そのような診断は信用できない、多数例を集計した上での研究など不可能だと考えられました。そうして導入されたのが、米国精神医学会によるDSMなどの操作的診断基準です。そこでは、チェックリスト的な診断基準を眺めながら、誰がどこで診断を受けても同じ診断になることがめざされました。

もっとも、DSMを作成した人たちは、安易に診断がくだされることの問題点を理解しており、それについて様々な注釈をつけました。しかし、あるシステムの影響力が大きくなると、その一部の安易な転用が行われるのは、世の常なのかもしれません。

最近では、そのわかりやすい診断基準を用いて、精神科医以外の人が特定の人物を診断し、その人を貶めるのを目にするようになりました。たとえば、ある芸能人の振る舞いについて、SNSでインフルエンサーがADHDと診断し、その言動を批判していました。個人的には、保護者や学校から、子どもをADHDと診断して医学的管理を強めてほしいという依頼が続いた時期がありました。それに対して、投薬の判断を慎重に行ったり、環境面からの圧迫によって子どもが反応しているような状態なので、そちらへの対応を優先するように伝えたりしたことがあります。すると、「診断基準」を満たしているのになぜ対応しないのかと、不満が伝えられました。その保護者や学校は、子どもに対する自分たちの接し方に問題があると指摘されることを、受け入れられないと感じたようです。

診断における医師の権威性は、確かに以前は必要以上に大きかったかもしれません。私の修行時代を思い返すと、微妙な事例について最終的に統合失調症か否かを判断するのは、大学の医局の事例検討会での意見でした。その意見を理解できるように必死に勉強し、医局や学会で認められる存在になりたいと切望したものです。それがよいことばかりであるとは、今は思いません。しかし今は、反対の方向に進みすぎている気がします。

専門家集団の意見の価値を、私も若かりしときに必死に否定しました。しかし、行きすぎはいけなかったと反省しています

堀 有伸(ほりメンタルクリニック院長)[診断基準][DSM]

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