1980年代半ばから、わが国ではEBMの推進とともに臨床研究の重要性が指摘され、脳血管障害の領域でも多施設共同研究が開始された。
今では急性期脳梗塞の標準治療であるalteplase(米国で開発された初の遺伝子組み換え薬品)を用いた血栓溶解療法も、1990年前後にわが国で行われたduteplase(日本で開発された遺伝子組み換え薬品、後に特許訴訟で生産中止となる)を用いた多施設共同研究(山口武典元国立循環器病研究センター総長が主導)が嚆矢となり、1995年alteplaseを用いたNINDS trialの成功で、承認された。虚血脳に対する急性期の再灌流が、出血性脳梗塞や脳浮腫を助長すると信じられていた時代に、再灌流療法が画期的治療として登場したのである。
また、同時期に、わが国でも現在の血栓回収療法に繋がる血栓溶解薬の動注療法に関する臨床研究が開始されていた。日本・米国・欧州では、急性期脳梗塞の新しい治療に関わる臨床研究が軌を一にして始まるという臨床研究のシンクロニシティが生まれ、筆者もわが国でのalteplase研究であるJ-ACT研究に参画し、J-MARSの筆頭著者を担うなど臨床研究に貢献する幸運に恵まれた。
再灌流療法の根拠は、1981年にAstrupらが提唱した脳虚血性ペナンブラの概念である。脳梗塞のコアの周囲には、神経活動は停止しているが、細胞死には至っていない部分があり、再灌流によって救済できる可能性があるとする学説である。1980年代から数多く行われては消えていった急性期脳梗塞に対する脳保護治療の臨床研究の根拠を伴っていた。脳保護治療薬に関する臨床研究は現在ほとんど顧みられないが、言うまでもなく、再灌流と脳保護は、急性期脳虚血治療の両輪であり、いずれはこれらの同時併用の有効性が論じられる日が来るであろう。
脳虚血性ペナンブラは、急性期の再灌流療法によっても完全に救済することができず、不完全脳梗塞となることが病理学的に知られている。ヒトでの再灌流後の不完全脳梗塞については、筆者は皮質神経細胞の分布をマーカーとするIomazenil-SPECTを用いた研究で、MRIでは判定できない皮質神経細胞の脱落を画像化し、1997年にコペンハーゲンのN. A. Lassen(脳循環代謝研究のメンター、図1)らとともに報告した。そろそろ、再灌流療法後の不完全脳梗塞による脳機能障害やその防止をテーマとする臨床研究が行われてもよい時期と思われる。
急性期脳梗塞治療の領域で最近発表された主要論文の多くが、中国で行われた臨床研究の結果報告である。このことは中国において質の高い臨床研究が行われていることを示唆している。
翻って、わが国での臨床研究の現状は、どうであろうか。バブル経済崩壊以降の失われた30年の間に、臨床研究のシンクロニシティから取り残された感が禁じえない。中国と日本の経済指標の推移とMajor journalに発表された医学論文数の推移は、確かにリンクしているようにも思え、経済力の差を反映していると解釈できないわけではない。しかし、先進国を自認してきたわが国の経済の停滞と臨床研究の質がリンクしているとは考えがたい。むしろ、この30年の間、質の高い臨床研究が行える体制を整備する努力を怠ってきたためと言わざるをえない。
臨床研究の質の改善において、経済力の低下は、一要因にすぎない。本邦における臨床研究のパイオニアである森悦朗元東北大学教授の卓見に準ずれば、臨床研究の成功に必要なものは、研究動機と根拠、研究の実現可能性、研究の人的支援と技術的支援、研究資金、研究者間の協力などであり、克服すべきものは、自己顕示欲、権威主義、規制当局、営利主義などである。
医療における働き方改革が本格化する中で、臨床研究がますますできにくい環境が進みつつあるとの臨床現場の「嘆き」を聞く。しかし、労働環境の改善と臨床研究の推進がぶつかり合う関係にあるとは思えない。臨床研究が活発な欧米や中国で、そのような問題が生じたことなど、これまで聞いたことがない。労働環境の改善と臨床研究の推進がぶつかり合うとすれば、臨床研究が一個人に帰属する場合のみである。
臨床研究は、組織に帰属し、組織的に遂行される研究であり、質の高い臨床研究が行える体制を整備することが前提となる。臨床現場における「嘆き」は、臨床研究を行う体制を整備することなく、働き方改革を推し進めていることの証左でもある。質の高い臨床研究が行える体制の整備が完了しているならば、医療における労働環境の改善は、むしろ臨床研究の推進にプラスに働く可能性さえある。整備の順序を間違えてはならない。