1926年に発表されたミハイル・ブルガーコフ(1891~1940)の『エジプトの暗闇』(町田清朗訳、『モルヒネ─ブルガーコフ短篇集』所収、未知谷刊)は、ロシア革命からスターリン支配下の時代、僻地の病院に勤める医師を主人公にした物語である。
この作品の舞台は、大学を卒業したばかりの主人公が「我々は人々から隔離されている。ここから最初の石油ランプがある所までは鉄路9露里だ」と語るような田舎の病院である。働いているのも、主人公のほかは准医師と2人の助産師だけだった。彼らは、1カ月の間雪に埋もれて100人の患者以外には誰とも会わないという閉ざされた環境にあり、そして今日、12月27日は主人公の誕生日だというのに、病院で水割り2杯の酒と地物のオイルサーディンで祝うだけだった。
しかも、彼らが日頃診ている患者たるや、次のような患者だった。
①30歳がらみの農家の女性。彼女は、ほかの患者を押しのけて医師の前に現れたかと思うと、懐から口広瓶を取り出して、しなを作りながら言った。「お医者さん、水薬をどうも。本当に良く効きました、本当に!……もう少し戴けませんかネェ」。
患者はこう言って薬を求めたが、主人公はその瓶に書かれた薬の名前を見てびっくりした。実は昨日、その女性にベラドンナを数日分処方したばかりだったのである。「あんたは昨日出したのを全部のんじゃったの?」。
主人公は、1回に5滴だけ飲むよう指示したのに、この女性は、家に帰って瓶の半分、寝る前に半分飲んで、痛みはすっかり取れたと言う。しかも、それだけ大量のベラドンナを飲んだというのに瞳孔も脈拍も正常で、ベラドンナ中毒の徴候は見られない。
その話を聞きつけた准医師は事の真相を見抜き、「お前は嘘をついているな。薬を飲まなかったのだ」と言った。実は、この女性は昨日もらった薬を自分の村に持ち帰り、それを皆に配っていたのである。
②助産師が、ある妊婦を内診したときのことである。産道に入れた指に脆いかけらのようなものが触れたが、それは砂糖だった。なぜ砂糖が産道に入っていたかと言えば、祈禱師から難産だと知らされた地元の産婆は、「赤ちゃんはこの世に出てきたくないのだから、誘い出さなければ駄目」と考えて、胎児を甘い物で誘い出そうとしたのだという。
③前任の医師の頃、1人の男が、「胸が苦しくて深く息が吸えない、喉に傷がついているようだ」と訴えた。喉頭炎と判断した医師は、「膏薬をあげよう、2日で良くなるよ」と言って、1枚は肩甲骨の間、もう1枚は胸に貼るよう指示した。
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