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庄内の女たち(1)【地霊の生みし人々(22)】[エッセイ]

No.4776 (2015年11月07日発行) P.74

黒羽根洋司

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-09

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  • 作家、藤沢周平(1927〜97)は、生まれ故郷、庄内を模した海坂藩を舞台に数多くの作品を残した。藤沢は、陰謀や裏切りなどをきっかけに余儀なく背負わされた運命に立ち向かう、下級武士や市井の平凡な人々を好んで取り上げた。今なお多くの愛読者を得ているのは、テーマが単なる時代物にとどまらず、今日的状況にも通じる普遍性を持っているからである。

    さらに、作品に艶と情感を与えるのが、主人公の傍らに佇む女たちの姿である。控えめながら毅然として誇り高い彼女たちは、時代に翻弄されながらも凛々しく生きる男たちのために命すら惜しまない。こうした心映えのいい女たちを、藤沢は庄内の女性たちの中に見ていたのであろうか。この問いかけを抱いて、庄内の女たちへの心の旅に出かけよう。

    佐々木邦と小雪

    服部小雪は、1907(明治40)年4月、まだ朝鮮と呼ばれていた釜山で、その人に出会った。小雪の父は旧庄内藩士で、新政府の地元出先機関で役職を務め、兄は京都の高等女学校の教師であった。自身も師範学校で学び、卒業後1年ほど郷里に奉職していたが、娘心の夢を膨らませる小雪は、釜山に住む親戚を頼って海を渡った。まだ23歳。当時としては、きわめて積極的で逞しい女性と言えよう。

    その人、佐々木邦(1883〜1964)は、明治学院高等部を卒業して2年後、母校の推薦で釜山の居留民団立商業学校の英語教師に赴任していた。学歴などを理由に、内地の学校に就職できなかったのである。そんな苦労人が、後年、ユーモア小説のパイオニアと称されるようになるのだから、人の一生とは面白いものである。

    着任した邦は、幸いにも領事館員の未亡人宅の一室を借りることができた。やがて、その家に未亡人の親戚の娘が同居人として加わることになった。2学期早々のことである。同じ屋根の下に妙齢の未婚の女性が住むことになると聞いた邦は、遠慮して引っ越しを申し出るべきであったろうが、そんな素振りも見せぬ大家についつい甘えてしまっていた。

    小雪は、邦が大工の長男として生まれ、中学校を4回も変えた苦学の人であることを聞いていた。学校から脇目も振らずに戻り、部屋で机に向かって読書をし、何やらを書いている真面目な邦の姿は、小雪に好ましく映った。

    邦は、小雪の名のとおり肌は白いが、とりわけ美人というわけでもないという印象を持った。が、半年もすれば2人は親しく言葉を交わす間柄になっていた。そうこうするうちに、小雪に縁談が持ち込まれた。平静を装いながらも邦の心中は、自分でも狼狽するくらい穏やかでなかった。

    ある朝、邦はついに行動に出た。

    「小雪さん、僕の机の上のウェブスターの中を見てください」。こう告げて、学校へ出かけた。分厚いウェブスター大辞典の表紙の下に、プロポーズの一筆をしのばせておいたのである。

    小雪の心は射止められた。話はとんとん拍子に進み、1908(明治41)年6月、晴れて2人は結婚式を挙げた。邦26歳、小雪24歳であった。

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