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徳田秋声の『死に親しむ』─続・文学にみる医師像 [エッセイ]

No.4797 (2016年04月02日発行) P.70

高橋正雄 (筑波大学人間系)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-01-26

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  • 1933(昭和8)年に発表された徳田秋声(1872〜1943)の『死に親しむ』(『徳田秋聲全集 第17巻』、八木書店刊)には、自らの病を淡々と受け入れ、飄々と死んでいった人生の達人とでも呼ぶべき医師の姿が描かれている。

    この作品は、「この4、5年、あれ程頻繁に彼を訪れ続けて来た渡瀬ドクトルの姿が、2、3日見えなかった」という一文で始まる。渡瀬医師は、「当面の政情に明るくて、何につけても一ト通り纏まった常識的判断をもっている一方、女などの道にかけても、思いの外の苦労人である」ところから、主人公と、いわば大人の付き合いをしていたのである。 

    姿を見せなくなった渡瀬医師のことが気になった主人公が、一町と離れていない医院を訪れると、いつも愛想のいい夫人から、渡瀬医師がこの2、3日床に就いていることを知らされた。渡瀬医師の家は、震災前に建てられた堅牢一方の素朴な家で、1階には薬局と患者控室、診察室と応接室があった。ここ数年は、いつとはなく遠くに引っ越した古い馴染みの患者ばかりで、診察室はいつも片づいており、最近は応接室に蓄音機を備え、レコードをかけてタンゴのステップの練習をしていた。

    主人公が医師の家を訪れてから3日ほどして、渡瀬医師は診断を受けるために木挽町の胃腸病院に入院した。主人公が川辺にある病院に見舞いに行くと、渡瀬医師は、「顔の筋肉が収縮したようで、皮膚の色も黄疸らしい黄色さよりも、黝黒色に淀んでいた」が、意識は少しも乱れていなかった。そのとき渡瀬医師は、「皆んなこうなるんですよ」と言うような淋しい微笑を浮かべながら、「まあ肝臓癌というところでしょう」、「駄目ですね。肝臓はふやふやしたものですから、手術は出来ないんで。まあ自然に委しておくですね」などと、自分の病状を説明した。

    また、渡瀬医師の生活の半分を占めていた若い女のことを思い出した主人公が、そのことを尋ねると、渡瀬医師は、「いや、もう何もかも清算しましたよ。家のことも子供のことも」と、涼しそうに答えた。

    主人公と一緒に見舞いに行ったF子が、「でも先生、どうかして癒って下さいよ。折角御懇意になって、夜夜なかでも来ていただいたのに、先生に亡くなられると困っちまいますわ」と言うと、渡瀬医師は微笑んで、「さあ、癒るか癒らないか、何しろ癌だからね。尤もレントゲンも、まだ取らないけれど、そういうことはまあ超越した方がいいと思いましてね。薬を呑んだところで、仕様がないし」と答えた。

    主人公が「何か食べたいものでもあったら」と尋ねると、渡瀬医師は、「何でもほしいものを遣っていますが、おけいずしを食ってみようかと思ってね」、「汁粉を食ってみましょうかね」、「それからメロンをね」などと答えた。そんな渡瀬医師の姿を見た主人公は、ついこの間まで日に2度もやってきて、時には窓の白むのも知らずに話に耽っていた渡瀬医師の姿が、「この世から果敢なく消えて行くのも、そう遠いことではなさそう」に思うのだった。

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