Iさんから往診依頼の電話があったのは、外来受診からわずか3日後であった。「先生、どうにも動けなくなったので、往診してくれんかな」。電話の声には張りがあった。翌日、往診をした。Iさんは公団住宅の1階に1人で住んでおり、ドアの鍵はかかっていなかった。
「こんにちは」と部屋に入ると、ベッドに寝ていたIさんは少し上体を起こして、吸い飲みから水を一気に飲み込んだ。「水を入れてきましょうか」と蓋を取ると、プーンと酒の匂い。それから、やおらたばこを取ってゆっくりと吸い出した。さすがにムッとした私は、「寝ながらたばこを吸うなんて危ないじゃないですか」と注意したが、「大丈夫、ベッドの脇の空き缶に水がたっぷり入っているから」と取り合わない。
Iさんは電気工事の職人として働き、生涯独身で気ままな一人暮らしを続けていた。胃癌や大腸癌で2回ほど手術を受けたが、状態が改善すると病院に黙って勝手に退院してきてしまうので、病院からは受け入れを拒否されていた。癌の全身転移もあり、本人の希望は「もう治療はいいから、これからは好きな酒を飲んで、たばこを吸いながら自宅で死んでゆきたい」ということであった。
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