『余は如何にして基督信徒となりし乎』は、内村鑑三の日本における代表的古典であるのみならず、あまねく諸外国にもその名声を顕揚した著である。なぜ今回のエッセイにその名著とまぎらわしい題名を付したのかは、鑑三がきわめて徐々にキリスト教徒へと回心していった有様が、熱中症発生にとても似ているからである。
最近は暑い、とにかく暑い。裸になって窓から外気を通してもクラクラする感じを払拭できない。私の生まれ故郷は北海道の東端に近い釧路。NHKの天気予報図で常に最低の気温が示される場所、そこが釧路である。私が暑さに弱い所以である。
中学3年生から海軍経理学校へ入学して奈良県の橿原に移住するまで、私は20℃以上の暑さを経験したことがなかった。夏が近づくと釧路の沖合でオホーツク寒流と黒潮暖流がぶつかり、濃厚な霧(ガスと言う)が発生、それが沿岸に押し寄せ、街全体が雲の中に入る。祖父の時代は日中でも提灯が必要であったといい、それでも人とぶつかったりしたそうである。
住民が増えた数十年後、私の子どもの頃でも、街を歩くと服がしっとりと濡れてしまった。暖流・寒流衝突の結果、日本一の漁港王国で街には活気があったが、日照がないのだから気温は上がらず、夏でもストーブを置きっぱなしの家も多く、また伝染病、ことに肺結核がやたらと多かった。裕福な医師の子であった私達姉兄弟は、その間1カ月以上学校を休んで阿寒湖畔で過ごしたが、それでも姉は腎結核で夭折し、兄は喀血して1年休学、私も少し休学して小学校卒業免許を貰わず仕舞となった(中学校にはその前に試験があって合格していた)。
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