30年も続けていれば、忘れられない患者は誰にでもいるだろう。しかし、20代に担当した患者さんに50代になってから再会するというのはどうだろうか?
最後に会ったのは以前の勤務先を退職した1998年で、その後は季節の挨拶状のやりとりだけだった。躁病エピソードによる入院がなかったことは、安心材料であった。今年の夏、例年のように暑中見舞いを頂いた。娘の車でのドライブがてら、ふと思いつき行き先を患者さんの住所にした。
6月に、アトゥール・ガワンデ『死すべき定め』の翻訳書を出版し、私にとっては人生のストーリーを紡ぐ機会の必要性を知る機会になった。病気の治療以上のことが人には必要だし、その必要性に対する医師の無理解が残酷さにつながることがわかった。私には、自分の治療で患者さんの入院を防ぐことができたという自負があったが、その結果、患者さんは幸せになったのだろうか。30年後はどうなっているのだろうか。生活環境は変わるし、住所は人口減に悩む山村である。
彼女は元気にしていた。髪型は昔と同じだった。セルフモニタリングは今も続けていると聞いて、嬉しかった。
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