1908年、アーネスト・マイルス氏は、直腸と骨盤内結腸の癌腫に対する根治的腹会陰式直腸切断術についてLancet 1)に発表した。それ以前にも、ほかの外科医によって、同様の手術は施行されていたが、マイルス氏は、詳細な解剖学的研究によって、このがんの上行性転移形式について理解し、この手術の際にはがんの存在する直腸のみならず、がんの上行性転移域を含めた骨盤内直腸間膜をも含めて切除すべき、とした。
すなわち、以前に施行した57例中54例が術後3カ月~3年で再発した事実をふまえて、病理解剖を施行した。再発の部位は、①骨盤腹膜、②骨盤内腸間膜、③左総腸骨動脈分岐上のリンパ節、であったとの所見を得たからである。
当時の術後死亡率は41.6%と高率であったが、この考え方に沿った手術法は、100年以上経た現在でも「マイルス手術」として引き継がれている。
私は1971年に医学部を卒業し、外科に入局。1年半後に下部腸管グループに配属され、いわゆる「マイルス手術」例を初めて担当した。当時の苦労は、骨盤内および会陰部手術時の術中出血と、その後の同部からの術後出血であったと思う。ドレナージを確実に置くこととともに、会陰部創部を砂囊で圧迫することなどの努力がなされていた。患者の術後早期離床などの考えもまったくなかった。さらに、止血が確認できないときなどには、会陰部創部は開放のまま閉鎖せずにミクリッツタンポナーデ、すなわちガーゼを十数枚挿入し圧迫止血していた。2000mL以上の出血はざらであったと記憶している。
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