仕事の性格上いろいろな訴訟に遭遇します。新聞やテレビで報道されるような刑事事件はさておき、なかなか判断の難儀な民事裁判があります。
それは今の季節、高齢者のお風呂、特に浴槽内でのお亡くなりです。争点は鶏が先か卵が先かではありませんが、持病が先か、それとも湯温等の災害かです。そのようなときに限って死後画像(Ai)や解剖所見がありません。唯一あるのは搬送先病院の血液データですが、BE(酸塩基平衡)値が正常値よりかなり逸脱しているときは、あまり当てにはなりません。しかし現実は、この当てにならないデータを土台に、原告も被告側も激論を交わしています。
風呂での急変は、いくらベテランの法医学者でも外表からは判断できません。しかし年間たくさんの高齢者がお亡くなりになっています。それは一体なぜなのでしょう。
まず42℃の湯温(私は死に温度と呼んでいます)、浴槽のせまい内寸(これは姿位がまるで「体育座り」では左右総腸骨動脈の血液が減少の中、立ち上がるときに脳虚血を惹起します)、さらに長湯(20分以上で血圧の急降下)や全身浴(無視できない水圧)、そしてなんといっても加齢による避けられない動脈硬化(経年により、長年使用したホースのように硬くなり、ひび割れるような血管の変性)があります。
これらから身体は劇的な血圧の変動に年齢とともについていけず、脳虚血や狭心症状を起こすのです。若いときは結構、深酒をしても酔いざましと称して入浴をしたものですが、年をとると命取りになります。ではなぜ温泉大国日本の湯治客は健全に入浴しているのでしょうか。それはいわゆる「入り方」といえます。うまく冷水を使用し血圧の上昇・下降を制御しています。日本の風呂文化は単に汚れを落とすだけではなく癒しなのです。
日本人、いや日本に住む人々にとって、お風呂は欠かせない。入り方などいろいろこだわりや哲学や作法を持たれる方もたくさんおられましょう。しかし、家族が安全に入浴できてこそ初めて癒しがあるのです。
ちなみにもっぱら私は冷水を桶にくみ、どちらかの手を浸けて血管温度の上昇を防いでいます。そうすると湯あたりもなく、湯あがり後も爽快でビールがうまい。「かぁー」(笑い)。