あるテレビ番組で、鉄道沿線の市や町の紹介をしていました。近鉄南大阪線の沿線で土師ノ里、道明寺、古市、上ノ太子、二上山、当麻寺、尺土、高田市、坊城の紹介、橿原神宮前で終点でした。テレビのスタッフは初代神武天皇を祀る橿原神宮、畝傍御陵に参拝、背後の畝傍山標高約200mに登山、10分くらいで頂上に。そこから天香具山、耳成山、明日香地方を眺望していました。私は近くの旧制畝傍中学に通学していましたが、登山経験がありません。当時は登ってはいけなかったのかも知れません。
大昔、大和平野は湖の底であったといわれ、大和三山の畝傍山は199m、火山が浸食、耳成山は140m、同じく火山で二上火山の連続だそうです。天香具山は152m、多峰山塊の浸食残丘だそうです。耳成山には山口神社、香具山には天香具神社と天岩戸神社があり、天照大神の岩戸かくれの伝承があります。また神社には「7本竹の不思議」と呼ばれる、毎年7本の竹が枯れ、新しい7本の竹が育つ伝説があります。
大和三山の中心部に初の都、藤原の京には持統天皇が遷都されました。現在、大和三山は国の名勝に指定されています。中でも香具山は神聖な山、天の香具山とされ、万葉集などで多く詠まれてきました。香具山の性は女、畝傍山は男、その逆の説もあります。
万葉集に中大兄皇子が大和三山の争いを詠まれた歌があります。「香具山は畝火ををしと、耳梨と相あらそいき神代より、斯くにあるらし古昔も、然にあれこそ、うつせみも、妻をあらそうらしき」と。また、出雲の阿菩大神(アポミカミ)が香具山と耳成山の2人の男が畝傍山を妻にし争っているのを聞き、仲裁にきて争いは治まったと、「香具山と耳梨山と争いしとき立ち見に来し印南国原」と詠まれています。