仏教徒である私は、この一冊という本は源空法然の言葉を記した『一枚起請文』を挙げたい。法然上人が1212年1月、京都東山大谷の自坊で、80歳で入滅する2日前に弟子たちへ形見として残した書として知られる。その添え書きには「源空が所在、このほかにまったくの別儀を存ぜず」と書き残している。
「もろこし我が朝に、諸々の智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。又学問をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず」に始まり、「ただ往生極楽の為には南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往生するぞと思ひとりて申すほかに別の仔細候はず。但し三心四修と申すことの候は、皆決定して、南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候也」。
この法然の言葉に私が初めて接したのは、高校生の受験期の夏休みであった。昭和30年頃のことで、まだ家々にクーラーなどという便利なものが普及していない時代であり、夏休みの受験勉強に東山の麓の鹿ケ谷の法然院の一室を借りた。私の父と当時のご住職であった梶田信順氏とが昵懇であったご縁である。幸い涼しく、静かな環境に恵まれた。
寺の慣れない雰囲気に馴染むまで数日を要したが、当時のこの寺で修行中の数人の若いお坊さんが早朝4時から掃除、勤行にと忙しくしている様子に、私も寝てもおられず、起きて早朝から勉強をしていた。寺の雰囲気に慣れるに従って、若いお坊さんとも親しくなった。当時、私の借りた部屋の床の間には不思議な字体で書かれた一本の軸があり、寺の執事の方から解説を受けたのが、この一枚起請文であった。その時に「一枚起請文」の書を頂いた。
極楽浄土に往生するために、南無阿弥陀仏と唱えることで、弥陀の慈悲を信じ、疑いの心を起こすことなく、すがるより方法はないという教えは、60年余を経て終点近い人生に至り、1枚起請文を愛読し、信心深く弥陀の本願に縋る思いである。