翌日予定していた多数傷病者受入訓練の事前資料に目を通していた10月21日午後2時7分、病院長室で大きな揺れに見舞われた。揺れは4、5分ほど続き、さらなる大きな揺れを迎えることを覚悟したが、その後さらに大きくなることはなく収まった。緊急地震速報で鳥取県中部を震源とする震度6弱の直下型地震であることがわかった。
早速、災害対策本部を立ち上げ、本部長として指揮をとり、各病棟、外来、手術室、検査室の被災状況の聞き取りを行うとともに、県中部の基幹病院である鳥取県立厚生病院へのDMAT(医師2名、看護師2名、理学療法士1名)の派遣を決定した。病院内の被害状況は、部屋の一部に壁の亀裂が見られたが機能的に問題はなく、現行手術は継続し、新規の手術の一時停止、CT検査の停止、外来アンギオ室の使用停止を指示した。鳥取県中部の複数病院で停電や施設の損壊、断水が報告されたため、透析患者さんなどを受け入れた。その後、余震が続いたが、当院がある鳥取県西部では大きな揺れはない。
ふと、鳥取大学に赴任直後の2000年10月6日に経験した鳥取県西部地震を思い出した。このときの最大震度は6強で、震源が米子に近かったこともあり、今回の揺れとは比べものにならないほど大きかった。その時のことは昨日のように記憶している。
教授室で事務書類に目を通した後に病棟7階に移動、回診開始直後に大きな揺れを感じた。左右に大きく揺れ、建物が折れて倒れるのではないかと思うくらいの大きな揺れであった。病棟の患者さんへの被害がないことを確認し、電源が復旧するまで酸素ボンベを用意したり、アンビューを押したりで、気がつくと外は暗くなっていた。医局に戻ると書籍や実験器具が散乱しており、教授室の椅子が落下した大きなスチール製の書庫で潰されていた。回診の開始時間がもう少し遅ければ、どうなっていたのだろうか。
マグニチュード7を超える大地震だったにもかかわらず、地震の直接被害による死者はなかった。これは、震源地が米子市南方20kmの山間部であったことや市街地の一部を除き、人口が密集していない地域であったこと、積雪の多い地域のため頑丈な造りの建物が多いこと、などが理由と思われる。
地震直後より診療を再開したが、呼吸器内科外来に通院する喘息患者さんで急性増悪が多いことが気になった。地震発生後1カ月以内に喘息患者さんの11%が病状の増悪を示し、ピークフロー値の一過性の低下も見られた。地震によるストレスや、大気環境や室内空気の悪化との関連があると思われた。16年前の地震を思い出し、これから1週間は同規模の地震が起こる可能性があることを肝に銘じながら、震源地に向かうDMATの隊員たちを見送った。