昨年61歳となり、受験で3年浪人したので34年目の医師生活となった。当然、一昨年は還暦で、周囲のお祝い気分とは裏腹に、老いに対する抵抗感は相当なものだった。先を見渡したときに以前にはなかった有限の壁が立ちはだかり、その事実に多少なりとも焦燥感を覚えたからである。
既に同じ経験をされた読者であれば、「何だ、そんなこと」と一笑に付されるかもしれない。しかし、私自身は現在も他施設で困難とされるような症例を手術して治療する外科医である。いつか限界がくる視力や体力の枯渇を恐れ、経験と知識が遠ざかって治療から障害行為に変貌させてしまうと不安に駆られるほうが自然なのだ。
実は最近、還暦も厄年同様に60歳に到達する前の準備と到達後の変化、61歳以後の方針策定が大切なのでは、と考えるようになった。陰陽道を起源とした風習の厄年は42歳を境に前厄、本厄、後厄という3年をもって1セットにしているからである。「前還暦」の59歳で職業病である尿管結石を再発して、その直後に飲酒を止めた。止めてみると不思議なことに、その頃は心身に負担と感じていた再手術や大がかりな緊急手術が少なくとも以前ほど負担に感じなくなった。当然、良好な結果につながることになり、精神的にも「辛い」というネガティブな気持ちで臨まず、「よし、腕の見せ所だ」とポジティブな反応に変えることができるようになったのだ。
「本還暦」の60歳になり半年が経過して、順天堂医院の院長に選出された。この時も院長職と外科医生活の割合をどうしようかと考えたが、どちらも100%ずつで合計200%で頑張ろうという答えが簡単に出せた。今のところ、自己採点では180%くらいかと思う。さらに61歳の「後還暦」に合わせるように手術室と病棟の新棟への移転が行われ、手術室は常時3部屋が使用可能で設備も格段に高規格となった。新装となった施設を有効活用して、より良い結果を患者さんに提供し、次世代につなげることが与えられた使命のように思える。経験を活かした新たな分野への取り組みも構想が固まり、新しい挑戦の幕を開けて、今は心底「後還暦」を謳歌したいと願っている。