2013年9月15・16日の両日、第2回日本タバコフリー学会学術大会(大会長:金子昌弘東京都予防医学協会呼吸器科部長)は、「タバコのない社会を目指そう!─検診・健診と市民運動からのアプローチ」をテーマに、東京・四谷の主婦会館プラザエフで開催された。
なお、「日本タバコフリー学会」というのは、[人々の基本的人権である生存や健康を脅かし、依存症・疾病・早世の最大の原因であり暴力・虐待・貧困・不幸・環境破壊と密接に関係する]タバコのない(=タバコフリー)社会の実現を目指す筆者が属するNPO法人である1)。
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今回の海外招請講演には、インド北部ハリ ヤーナー・パンジャーブ州の州都のチャンディーガル市(Chandigarh,人口100万人)を、2007年に同国初の禁煙(スモークフリー)都市にした立役者ヘマント・ゴスワミ(Hemant Goswami)氏を演者として招聘した。
氏は新進気鋭の社会活動家で、理論と実践の両方に優れた禁煙活動は、インドのみならずアジア中から注目されている。さらに麻薬・汚職撲滅運動や子どもの権利擁護および市民権・情報権の確立など、社会改革の広い分野での活躍で、ウィキペディアでも紹介されている2)。
ゴスワミ氏は、海外招請講演「タバコフリー日本の可能性─市民社会の役割」で、市民活動からのボトムアップによるスモークフリー都市実現のプロセスを説明し、本会の活動にも心からのエールを送ってくれた。
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さて、今回ゴスワミ氏との事前のやり取りの中で、氏が日本に特別なご縁を感じておられることがわかった。
ゴスワミ氏の曾祖父スワミ・ラマ・ティルサ(Swami Rama Tirtha,1873~1906)氏は、若くしてヒンズー教の聖者となり、1902(明治35)年に弱冠29歳で来日し、同年10月7日には、東京高等商業学校(現在の一橋大学)で、「成功の秘訣(Secret of Success)」と題する講演を行った3)とのことであった。
ティルサ氏は、東京での講演後渡米し、2年間にわたりサンフランシスコを拠点に、布教とインドからの留学生の世話に当たられたという。筆者は当時の宗主国の英国から独立を勝ちとった先輩の米国に学ぶ留学生への支援を通じて、インドの独立を願っていたと想像する。残念ながら帰国後に33歳で夭折されているが、今なお聖者として人々の尊敬を集めているとのことである4)。
では、なぜティルサ氏が、111年前の飛行機もない時代、渡米の途中に日本に立ち寄り、東京高等商業学校で講演することになったのであろうか?
講演の前年の1901(明治34)年、英語学者神田乃武(1857~1923)が、インドを訪問している。
神田は1871年公使森有礼(1847~89)に従って渡米、アマースト大学(新島襄や内村鑑三らも学んだ)を卒業し、帰国後は英和・和英辞典の編集に携わった。教育者としては1898(明治31)年に、東京高等商業学校の第5代校長(心得)を務め、後に男爵にも叙せられている。そのような縁もあり、ティルサ氏が東京高等商業学校で講演することになったと推察される。
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