「そのとき先生が詠んだ漢詩をぜひお聞かせください」 そういって清川玄道が頼むので、わしは自作の詩を諳んじてみせた。
鳳闕書を呈すと雖も
(宮中に建白書を差し出したが)
故山未だ蘆に返らず
(漢方は未だに受け入れられず)
時に乗じ軒鶴起り
(時に乗じて洋方隆盛となり)
世に違い老鳶疎なり
(世の中は老いた鳶を遠ざける)
霜雪人骨を侵し
(冬の寒さが老いの身に凍み)
雲煙歳除を過ぐ
(早くも大晦日が過ぎ往く)
残灯眠り就ず
(侘しい灯火で眠りに就けず)
孤月窓虚を照す
(一片の月、虚しく窓辺を照らす)
詠み終えてわしは皇子御殿から浅田塾へ帰った元日の朝を思い出した。
その日わしが院長をつとめる「博済堂」と「如春病院」の医員50人余りが挙って年始にやってきたのだ。
全員が漢方医団結の証である黒い道士巾を被り、互いに新年の祝いを寿いだ。
かれらは当局の漢方医圧迫に対する憤懣の表情をみなぎらせ、
「今年こそ洋医に対抗して団結をはかろう」と誓い合った。
その盟約を果たすかのように京都では漢方医団体の賛育社が結成され、熊本でも高岡玄真が熊本春雨社を旗揚げした。
わしは玄道を鼓舞するようにいった。
「東京温知社も一丸となって実力を発揮せねばなるまい。まずは東京に漢方医の養成所を設立しようではないか」
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