真冬は高齢の在宅患者さんも体調を崩しがちだ。施設や在宅でもインフルエンザに感染する人がいる。二次性肺炎を一生懸命治療しても改善しなければ、入院を希望される家族が多い。末期がんであれば救急搬送や入院になることは稀であるが、非がんの在宅患者さんは救急搬送、そして入院加療から退院というサイクルを数回も繰り返すケースがある。私の診療所がある阪神間は特にこの寒い季節はどこの病院も満床で、搬送先探しに半日を要することもある。超高齢者の場合は搬送すべきか、搬送しないで在宅での治療継続か、医師も家族も迷うケースが多い。ゆるやかな老衰への旅であれば家族もなんとか見守ることができても、2~3日単位での急速な全身状態の低下と聞けば、入院医療となるケースも多い。
在宅看取りが謳われて久しいが、看取りはあくまで良き在宅ケアの帰結にすぎず、看取りだけが単独で存在するわけではない。というのも、前回(4839号)詳述したように、医療技術の発達に伴い、どこからが「終末期」なのか判断が難しくなっているからだ。もちろん本人、家族とよく相談するのだが、その時間的余裕がなかったり、家族が判断できなかったり、いなかったりで、「先生にお任せ」となることも多い。その結果、看取り寸前の救急搬送や看取り搬送となることが現実にある。
しかし、病院側から見ればたまったものではない。たらい回しではなく、物理的に受け入れ不能が続出している。救急車が行き先を見つけるまで、かなりの時間がかかることもある。病床の機能分化が議論されているが、市民側には病床区分の知識などない。かかりつけ医が地域包括ケア病棟を勧めても、高度急性期医療を掲げるブランド病院を強く希望する家族がよくいる。家族という強大な権力の前では、日本の医療者は無力である。市民に地域の病床数が有限であることや機能区分があることなどを、もっと啓発すべきではないか。いずれにせよ、急増する高齢者の救急搬送が深刻な社会問題になっている。
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