1979(昭和54)年に発表された古井由吉の『親』の序章『道』(『古井由吉自撰作品4』、河出書房新社刊)には、妻を精神科病院に入院させた主人公の心情とともに、閉鎖病棟における精神科医の姿が描かれている。
入院して1週間は面会禁止と言われた主人公は、入院後の妻の状態を電話で主治医に問い合わせる。医師は「落ち着いておられますよ」と答えるだけで、主人公は、それ以上のことを聞こうにも、鉄の扉の向こうの暮しの様子が浮かばないため、しどろもどろに礼を言って、受話器を置いた。
その後も日に1度、電話で尋ねるたびに、医師は落ち着いていると答えた。「言動はほぼ正常に保たれ、拘禁に抵抗も見せない。病識もある、すくなくとも持とうと努めている」。
ただ、妻は、自分の記憶を心もとながるので、医師が主人公から聞いた入院に至る経緯を話して聞かせると、「主人がそう申すのならその通りだと思います」とうなだれ、「主人にひどい迷惑をかけたので、ここへあずけられたのですから、ここで一所懸命つとめて、すこしでも早く主人に許されて家に帰りたいと思います」と謝った。
それに対して医師は、「それは病気を何かと取違えていることになりませんか」と宥めたが、妻はしょんぼり黙り込んでいたという。
もっとも、医師は、最近の妻の状態について、普段は「危機を越した安堵感と、面会日までに良くなったところを見せようと張切った気持が先に走って、軽躁状態にある」が、「内省するゆとりはないように見える」として、次のように説明した。「日に一度ほど、自分がこんな病気になった原因にとうとう思い当ったと、目を輝かせて宿直医のところへ駆けてくるが、訊いてみるとどれも、寝起きがだらしないとか、食事の摂り方にむらがあるとか、部屋の整頓にこだわりすぎるとか、日常の心がけの事柄で、話すにつれて声が燥ぎ立ち、内容のほうも取りとめがなくなる」。
医師は、今は「陽気でお喋りで、子供っぽくなっている」として、同室の患者との関係についても、「ごろごろと寝そべっているのを見ると、あなたたち、どうしてそんなふうに日を送っているの、なぜ早く家へ帰れるように努力しないの、ともどかしげに頭を振って歎いている」と、伝えた。
今までそんな活動的な妻の姿を見たことがなかった主人公は、ことの意外性に驚き、「陽気な狂女の姿が、声を忍ばせて泣く姿よりもあわれ」に思えたが、医師は、順調に回復に向かっているとして、次のような楽観的な見通しを述べた。「時間もかかり紆余曲折もまだあるだろう。いまは軽躁状態にあるが逆の方へ振れもどるかもしれない。それも回復の順序を踏んでいると言える。何よりも心強いのは、早く家へ帰って償いをしたいという本人の意志の揺るぎなさで、それがあるかぎりは、時の力を借りて自分で立直れるだろう」。
ただし、妻は何かを一心に守っている様子なので、医師としては、「なまじ病人の内面へ踏みこんで他者の介入の跡を記憶に残さぬほうが得策と考える。すべてが一身の体験として、胸の内におさめられるように終えるのが好ましい」と語ったが、そうした医師の方針を聞いた主人公は、穏当なやり方と考えて、病院に任せる気になっている。
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