わたしは地獄と極楽に行ったことがあります。もちろん、あの世ではなくて温泉の名前ですが、そういえば温泉天国とはいっても天国温泉とは普通言わないようですね。天国と極楽、似ているようで違う! 何かのCMのようですが、はたと気づかされたのです(知らなかったのは私だけ?)。
一刀両断に答えを出してくれたのは、天野祐吉著『私説 広告五千年史』(新潮社刊)の中で引用されていた民俗学者の五来 重さんの説でした。
「キリスト教では天国こそが現実性をもった理想の世界で、地獄は天国へ行けない罪人への誡めとしての存在である。これに対して日本人にとっては、地獄こそ現実性をもった恐るべき世界で、そこへ堕ちないための救済として極楽がある」。
なぁるほど、天国のイメージが曖昧なのは、わたしが仏教徒だからのようでした。
辞書を引くと天国とは、「神や天使が住むという天上の世界で、キリスト教やイスラム教では信者の死後の霊が神から永遠の祝福を受けて迎え入れられるところ」とあり、極楽は「阿弥陀仏のいる浄土で、一切の苦患を離れた安楽の世界、西方浄土」となっています。いずれの宗教でも地獄は救われない人、罪人が落ちる世界なのに対して、天国も極楽も天上にあることだけは共通ですが、どちらに行けるかは宗教次第なのでした。
誰もが憧れる天国や極楽、いずれも神や仏の慈悲に満ち溢れたほんわかした世界らしいですね。ふーむ、もしそんな世界が存在するなら、あまりに刺激がなさすぎて惚けてしまうかも(死んでいるから関係ないか?)。ゆったりとした世界が極楽で、刺激が、それも苦しく痛いほうに強すぎる世界が地獄。だとしたら、もちろん地獄には堕ちたくないが、極楽に行くのも早すぎないほうが良いような気がしてきました。
ここからは妄想です。
冥途に行くためには三途の川を渡らねばなりません。初七日の日に渡るとされているので、なにごとか災害があって同じ日に亡くなった方が多い場合は、渡り船も混雑してしまうでしょう。押すな押すなの定員オーバーで、またもや沈没。先は長いのだから、あせらず並んで乗り込んだほうがよさそうですね。閻魔様も忙しい。人類はここ100年で急激に人口を増やしましたから、あの世も少々手狭になってきているかもしれません。
さあ、ここからが問題です。地獄への道はともかく、わたしには極楽へ行く道筋がとんとわかりません。
わたしは日本人ですから、地獄はすぐにイメージできます。寺には地獄絵が掛けてあって、それによると鬼たちが悪業をなした死者を苛むのです。彼らはどのような悪業をなしたというのでしょう。
殺人や詐欺などの罪を犯した、というのならばわかります。では、戦争で人を殺めた場合はどうなのか。戦争に勝てば軍神と崇められますが、兵隊として命令に従っただけなのに、悪業とされるのでしたらかわいそうです。医師であっても、故意でなく結果として人を救えなかった場合はどうでしょう。まったくミスを犯したことがないと断言できる人がどれほどいるでしょうか。
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