2017年6月22日、小林麻央さんが天に召されました。34歳。原稿はその日の夜に書きはじめています。皆さんがこの記事を読まれるときには、いささか旧聞になっているかもしれませんが、私にとってはショッキングな出来事だったのです。私事で恐縮ですが、私の夫も5月30日、悪性腫瘍のため身罷ったばかり。夫も最期の瞬間まで治療をあきらめず意識もあったのですが、病には勝てませんでした。麻央さんと夫、共通するのは病との向き合い方。逃げることなく戦う姿勢、闘病です。
夫の場合、大学病院の医師からは「もう治療するすべがない」と匙を投げられ、「麻酔で痛みを取り、緩和ケアに任せたほうがよい」と勧められましたが、本人は医学系会社の主席研究者でしたから、文献を取り寄せ自由診療による治療を望んでいました。しかし、国立の大学病院では叶わぬことです。最後にやっと治療を受けられる病院に転院した、まさにその夜に力尽きてしまいました。無念でしょうが、これも彼の運命と諦めるしかありません。
彼の病気は未分化多発性軟部肉腫。人間ドックで偶然見つかった、ごく初期の発見にもかかわらず、抗癌剤が効きません。確立した治療法もない、医者にとっては厄介な病気です。主治医も困惑していたのかもしれません。悪性腫瘍の死亡率は低下してはいますが、未だに治せる病気とそうでないものがあるのは確かなのです。
それにしても闘病とは、よくいったものですね。諦めて静かに息を引き取る選択肢もあったでしょうが、小林麻央さんも夫も、最後まで「治りたい」「治る」と信じて辛い痛みを耐えたのです。たとえはいささか大げさですが、夫を見ていたら大坂の陣で突撃し散った真田幸村を連想しました。ダメだろう、しかし1%でも可能性があるなら賭けてみる、討ち死にしたとしても座して死を待つのは御免だ、という信念が命を支えていたように思われてなりません。
ところが、そんな力んだ生き方に、そっと手を添えてくれる言葉に出会いました。言葉の主の一人は杉浦日向子さん、もう一方は医療研究者の立川昭二先生です。
江戸時代に詳しいお二人は、近代以前の死生観をこう述べています。杉浦さん曰く、
「何の為に生きるのかとか、どこから来てどこへ行くのかなどという果てしのない問いは、ごはんをまずくさせます。まず、今生きているから生きる。食べて糞して寝て起きて、死ぬまで生きるのだ。こう言われれば気が楽になります」。
「生れ落ちた時から以降、死ぬまでの間の時間が、すべて余生であり、生まれた瞬間から、誰もがもれなく死出への旅に参加している訳です」(『うつくしく、やさしく、おろかなり―私の惚れた「江戸」』より、筑摩書房刊)。
立川先生の見解も似ています。
「近代医学にとって、病気は征服し排除するものであるが、わたしたちの祖先にとっては、なだめ、鎮めるものであり、病気を癒してくれるものは神や仏であった」(『江戸病草紙』より、筑摩書房刊)。
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