1985年9月4日午後5時過ぎ、中学校のプールで泳いでいた14歳女児が排水口に吸い込まれ、私がいた病院に搬送されてきた。30分以上水没していた状態を治療することは不可能であった。真夜中に臨終の宣告をした後には、むなしさだけが残った。これが事故予防に関わるきっかけとなった。
以後、小児の事故予防に取り組み、厚生省の研究班でチェックシートなどを作成したが、予防につながる活動とはならなかった。
2004年3月26日、東京の六本木ヒルズの自動回転ドアで6歳児が頭を挟まれて死亡した。子どもの事故であったため、私にも取材が相次いだ。その時、子どもの事故予防のためには、①医療機関を定点にした事故サーベイランスの開始、②事故予防の研究部門の設置の2つが必要と考え、日本外来小児科学会から坂口力厚労大臣(当時)に要望書を手渡した。大臣はその重要性を認識されたが、行政部門からは「担当部署がない」という返答であった。
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