1953(昭和28)年に発表された上林 暁の『月魄』(『現代日本文學大系65』筑摩書房刊)には、1952(昭和27)年に上林が50歳で発症した脳卒中発症直後の様子が描かれているため、昭和20年代の脳卒中患者をめぐる状況や、脳卒中当事者の心理を考える上でも、興味深い作品である。
正月3日の夕方、散髪をするつもりで駅前へ出かけた主人公は、歩いているうちに、「遣りきれないほど寒い」と感じるようになった。そのため彼は、床屋行を中止して、飲み屋で熱燗を何杯か飲んで帰宅し、夕食後は12時過ぎまで机に向かって小説を書いたり、友人の作品を読んで過ごした。しかし、その間も主人公の足は一向に温まらず、「足袋をぬいでいるのに、足袋をぬいでいるのか穿いているのか、まるで感じが判らなかった」。特に、左足の痺れ感がひどかったために、主人公は「これは何か大変なことになったのではないか」という得体の知れない不安に襲われた。
冷えた足を湯たんぽで温めようと考えた主人公は、湯を沸かすためにマッチの火を右手に持ち、左手でガスの栓を捻ろうとしたが、いくら捻ったつもりでもガス栓が動かない。
そこで主人公が、「湯たんぽを沸かそうとしたんだけど、左の手が利かなくて、ガスがつけられないんだ」と言うと、娘は「お父さん、言葉もなんだか変よ」と指摘した。
この時点で主人公には、左足の感覚障害や左手の麻痺のほかに、構音障害も出現していたのであるが、主人公はそのまま眠りに落ちる。そして、朝方に1度起きた後はひと眠りしただけと思い込んでいた主人公は、娘から既に夜になっていると聞かされて、驚く。彼はひと眠りどころか、「一日中、ぶっつづけて眠っていた」のである。
主人公はこの間、「死の座に隣りしているとも知らないで、昏々と眠っていた」だけでなく、「医者にかけられるでもなく、放ったらかしのままだった」のである。
それでも主人公は、「もう夜か。お父ちゃんは、まだ朝かと思っていた」と苦笑しながら寝巻の帯を締めようとしたが、今度は「左手の手首から先がぐんにゃりしていて、帯を持つことも結ぶこともできない」。
事ここに及んでさすがの主人公も、息子に「お医者さんを迎えて来い」と言いつけたが、ほどなく現れた医者は、「軽い脳溢血ですねえ。三月か半年で、もと通りになりますよ。心配はありません。瀉血をしておきましょう」と告げた。そして、診察を終えた医者は「一月くらい、絶対安静にしていて下さい」という注意を与えて帰ったという。
このように、『月魄』は、脳卒中発症直後の状況を、当事者の視点から描いた作品である。脳卒中に関する知識が比較的普及した今日ならば、感覚障害や運動障害、構音障害などに気づいた時点で直ちに救急車を呼ぶのであろうが、当時の人々は、本人が眠るままに放置しているし、本人も事の重大さに気づいていない。また、本人が深い眠りから覚めて呼ばれた医師にしても、入院や早期のリハビリを勧めるわけでもなく、瀉血をして、1カ月の安静を命じただけなのである。
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