「腰抜け共ならいざしらず、このわしがそんな待遇で官途に就くのを悦ぶとでも思ったか。憚りながら徳川家茂、慶喜両公の奥医師法眼を仰せつけられ、大学の前身たる医学所頭取に就任して医官最高の位に上りつめたこのわしにおぬしらの足下で働けとは、ずいぶん見くびられたもンだ」
憤怒とともに長い間娑婆の土を踏まなかった鬱憤が一気に迸り出た。
「見損なわないでくれ。この良順、他人様のお情けに縋って生きる心算はねェ。出獄早々だろうと、おぬしらの世話になるほど落魄れちゃいねエんだ。お前さんたち、とっとと帰ってくれ」
岩佐 純にどんな理由があるのか、牢から出てきたばかりのわしは知る由もない。
それより岩佐と佐藤尚中さんは徳川と薩長を天秤にかけて日和見傘をさしたことが許せなかった。しかも、遠方の箱館病院頭取に赴任せよとは差出がましいにも程がある。
わしは呆気にとられた表情の2人を残して徳川邸を去り、その足で王子梶原村に潜む義父母と妻子の許に直行した。
「まあ、よくぞお帰りなさいました」
妻のトキは腰をぬかしたように上がり框にぺたりと座り込んだ。
その日は養父母とトキに、会津から帰って薩長政府に捕まり、入牢して釈放されるまでのいきさつをとっくりと話した。
あくる日は横浜に出かけて実父母に謁した。父の佐藤泰然はかなり老いが進んでいて、「これから市中に洋式病院を開いて患者に尽くします」と告げると、「しっかりやれ」と肯くのみだった。
まもなく早稲田馬場町の元一橋家の広い屋敷跡を借りることができた。
そこで自己資金3000円と紀州家から調達した1000円を投入して「蘭疇医院」と名付ける私立病院を設立することにした。「蘭」はオランダ、「疇」は仲間の意である。
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