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日露医学交流余話[炉辺閑話]

No.4889 (2018年01月06日発行) P.104

牛木辰男 (新潟大学教育研究院医歯学系長・医学部長)

登録日: 2018-01-07

最終更新日: 2017-12-20

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東方経済フォーラム絡みで日露医学交流シンポジウムをウラジオストクで開催した。この町を訪れるのはこれで4度目になるだろうか。

最初の訪問は6年前。とある学会に招待された。工事中の古い空港に迎えに来てくれた車に乗り、砂利道を1時間ほど走り、さらに小舟に乗り換えて人気のない謎の島の裏に連れていかれた。サナトリウムが1軒だけ建っていた。携帯電話も通じない。ロシア語だけの会に2つの講演を頼まれた。もちろん私はロシア語ができないので、英語で話した。

当時はプーチン肝煎りのAPEC首脳会議の直前で、ウラジオストクの開発が急ピッチに進んでいた。建設中の空港と道路。私が運ばれた島はルースキー島というソビエト連邦時代の軍事基地で、高台にはまだ大きな砲台が残っていた。一方で、この島と町を結ぶ長い吊り橋の工事が始まり、島の北側にAPECの会場ともなる極東連邦大学の新キャンパスの建設が進んでいた。後で知ったのだが、これらの工事に総額約6000億ルーブル(1兆6500億円)がつぎ込まれたそうである。それにしても、APEC開催まであと2カ月ほどなのに、すべてが建設中なのには驚いた。市内のロシア語の看板が並ぶ埃っぽい風景も殺伐として見えた。

その後、思いがけず大学の日露交流の仕事に関わることになった。私の大学は古くからロシアとの交流の実績があったのだが、東日本大震災により一旦交流が途切れてしまっていた。悩んでいると「ロシア人とは顔を合わせるのが大切。それが信頼関係を築く近道」と誰かに教えられた。まずはクラスノヤルスク、ハバロフスクと連携すべき大学を順に訪問したが、皆温かく迎えてくれた。こうして再び日露交流の基盤づくりができた。ウラジオストクにも4年ぶりに再訪することになったが、町がすっかり変わっていることに驚いた。新空港は完成し、道路も舗装されている。高層ビルが建ち並び、英語の看板のお洒落なレストランが並んでいる。行き交う車も新車ばかり。この町の変貌こそが、ロシアの底力の表れなのだと思わせる出来事だった。

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