医学部を卒業し、何の抵抗もなく解剖学の研究室に入った。35年以上も前のことである。当時は、解剖学、生理学、生化学、薬理学等には、医学部出身者が数名は入室していた時代である。今では、病理学は別にしても、基礎医学領域における医学部出身者は、いわゆる「絶滅危惧種」と揶揄され、その中でも解剖学は危惧種どころかほぼ絶滅したと言って過言ではない。
しかし、今も昔も解剖学は医学を志す者の基本であり、最も基礎的かつ重要な学問であることに変わりはない。
医の心を育てる意味でも、解剖学の果たす役割は大きい。たとえば、系統解剖学実習は、人体の構造の精緻さを学ぶために用意された医学を志す者だけに与えられた特権であるが、それと同時に、死を前提とした実習であるが故に、医学生が「生きることの意味」、すなわち、生命観をとらえ、「死と向かい合うことの事実」を通して、将来の医師としての人間力を養う絶好の機会でもある。
生命観の変遷は、まさに解剖学の歴史そのものである。アリストテレスは、生命には心や魂が宿っているとする「生気論」を提唱したが、これは欧州人の観念的生命観の本質的な部分であり、宗教家にとっては大変都合のよい考え方であった。アリストテレスの考えは、古代ギリシャの解剖学者・ガレノスに提唱され、16世紀におけるヴェサリウスの出現まで、長きにわたって欧州人の生命観を支配した。「心が痛む」「心苦しい」「胸が張り裂ける」等々、現代においてもその観念的生命観が引き継がれている事実こそ、その影響力を示すものだろう。
ヴェサリウスの人体構造の真理の追究は、ガレノス説を次々と覆し、生命観に物質的観念を持ち込む新しい流れをつくることになった。まさに医学のブレイクスルーとなり、近代医学への大きな流れをつくったと言える。
このように、解剖学は大変奥の深い学問であり、医学の本質を追求するには、最も適した学問であると言える。この学問の面白さを、いかにして若い世代にアピールできるのか、真剣に考える新春である。