現代日本はかつてなく、徹底的に不条理なものを排除しようとする社会に見える。しかし、外に目を転じれば、そこは強い者のみが生き残るという、非情な自然の掟に支配された社会である。医学は、その自然の掟を知ろうとする学問である一方、その不条理を克服しようとする学問でもある。だが、もし掟を知ることなく医学の恩恵だけを享受しようとするなら、やがて生物体としての人類は破滅に向かうであろう。医学に携わる人間にとって、避けられない不条理を経験することも不可欠なのではないだろうか。
筆者が米国Yale大学に留学したのは34歳のときであった。ようやく留学生活も軌道に乗りかけたとき、父が直腸癌で手術を受けるという衝撃的な電話が入った。この時は手術を見届けただけで、トンボ返りでYale大学に戻った。その後1年半が過ぎ、仕事も順調に結果が出はじめた頃、再び父のがんの転移と余命わずか、との知らせが入った。何という不条理だろう。父に長い間反抗してきた筆者には特別な悔悟の思いがあった。
筆者の留学費用の一切を出してくれていたボスは、仕事が未完成のままの帰国は許さない、と冷たく告げるのみであった。自分の研究を完成させ論文を書き上げるだけでなく、大学のグラント申請を書き上げなければ帰国はできない。進退窮まった筆者は一心不乱に仕事に打ち込み、何とか帰国できたとき、父の命は風前の灯であった。それに追い打ちをかけるように、やっと帰国した筆者にYale大学を代表してNIHのグラント審査を受けるようボスからの連絡が入った。最期が迫る父を残しての再渡米という不条理を嘆きつつ、何とか責任を果たした筆者だが、意識のある父にはもう会えなかった。
だが、不条理はまだ終わらなかった。グラント審査は通ったが、当初の約束である日本への研究費の分配は不可、とNIHから通告を受けたのである。思わず「何と非情な」という言葉が口をついて出た。
あれから30数年が過ぎ、筆者は昨年無事に大学を退任した。振り返ると一連の不条理に堪え抜いたことが、何事にも負けずに大学生活を全うする力を与えてくれたように思えるのである。