アジャラカモクレン、落語好きならご存知の古典落語「死神」に出てくるおまじないである。病人が寝る足元に死神が座っている時に「アジャラカモクレン、○○○、テケレッツのパー」と唱えると、死神はたちどころに去り、病人は嘘のように元気になる。しかし、病人が寝る枕元に死神がいる場合は寿命なので、おまじないを唱えても決して病人は助からない。死神からそう教わった男が、医者となって大儲けをする(どうやら古来より医者は儲かる職業だと思われていたらしい)。
死神が足元にいる病人をきちんと助けて名医と呼ばれ、死神が枕元にいる病人の家族には寿命が尽きたと宣告し、名医の名声はさらに高くなる。大儲けしたまではよいが、悪銭身に付かず、男は享楽にふけった散財の挙句、家庭を崩壊させ無一文になってしまう。運に見放されると困ったもので、どこの病人を診察に行っても死神は枕元にいる。そうなると、世間は勝手なもので、あの医者は一人も治せない、あの医者がくると病人の寿命が尽きてしまう、と悪い評判ばかりが出回る。困り果てた男は、ある知恵をひねり、死神が枕元にいて寿命の尽きかけた病人を助けることに成功する。その結果、今までにない大金を手に入れるのだが……。
この落語のオチは、落語家ごとに工夫されており、おまじないの「○○○」は、その時の時事ネタが織り込まれているので何度聴いても面白いのだが、医師としては、そんなおまじないがあれば使ってみたいものだと思う。いや、気づいていないだけで、ひょっとしたら現代の医師は皆、既に使っているのかもしれない。そして、寿命を超えようとする近未来の医療は、この落語のオチのように悲惨な結末を迎えてしまうのだろうか?そんなことを考えていると、若い頃は気にならなかった自身の視力や聴力、足腰の筋力の衰えに気づく。健康寿命を延ばすため日頃よりいろいろと気を遣ったり体を動かしたりしてはいるのだが、死神というものは確実に足元に忍び寄ってきているらしい。テケレッツのパー!