約1万年前の農耕革命以降、エネルギーの蓄積が可能になるにつれて「時間」という概念が浸透し、労働をはじめとする日常生活との密接な関係が認識されるようになったという。時間とは、お金、健康、情報などと同じように、私たちにとってその欠乏や喪失が致命的になりうるものであると同時に、それぞれが相互交換可能な観念上の資産と言える。労働というものは、これらの資産を交換する際に発生する手数料のようなものであると私は思う。
英国の進化生物学者マット・リドレーは著書『繁栄』(早川書房刊)において、テクノロジーの進歩が、必要なものを得るために要する労働時間を短縮させ、その余暇によって、さらに新たなイノベーションが生み出されるしくみが人類を豊かにしていることをわかりやすく説明している。
一方で、このサイクルが結果として時間の価値の高騰と欠乏をまねいていることも事実であろう。主に先進諸国、特に日本においては時間欠乏が蔓延し、近年は健康への悪影響も強く懸念されるようになった。しかし、時間の喪失予防のためのセキュリティー対策や損失補塡の概念が他の資産の場合のようには存在せず、その管理方法についても一貫した理論があるわけではない。個人の成功体験や精神訓話が参考にされるのみであり、現在もなお私たちは、この問題に対して不自然なほどに無力である。
時間の欠乏した環境は明らかに人体に有害であり、その要因の多くは労働に起因していることから、時間欠乏症の予防は産業医学に課せられた喫緊の課題と言えよう。労働の場における時間欠乏のメカニズムが明らかになり、理論と科学的根拠に基づいて労働衛生の3管理(作業管理、作業環境管理、健康管理)を適用することができれば、あらゆる人々にとって時間欠乏症のワクチンとして機能し、人生を豊かなものにしてくれるに違いない。私もこのような取り組みを通じて、働き方改革の実現に貢献できれば幸甚である。