歳をとってくると、自然と背中が丸くなり、頭が下に向かって垂れ下がってくる。この種の症状は、加齢によると思われがちである。坐位や立位で頭の垂れ下がる症状を主とする疾患は「首下がり病」と称され、1887年のGerlierの報告に始まり、1992年に Suarezらは The dropped head syndromeの名称で報告した。
一方、中国の清代の医家の一人は、少なくとも現代医学の認識する100年以上前に「首下がり病」を治療していた。葉天士(1667~1746)は、春季から秋季にかけて流行する急性熱性疾患の治療に優れていた医者であった。彼の外来でのカルテをまとめた医案集は『臨証指南医案』と命名され、葉天士が没した後、門人の華岫雲によって1764年に刊行された。
この医案集を読むと、「督脈が損傷されると、頭が垂れる」「俯くだけで仰向いて臥せることができず、背骨が強張るのは、督脈が用いられず、次第にせむしの廃疾になる」などと「首下がり病」の症状が随所に記載されている。督脈は奇経八脈のひとつで、会陰部より起こり、背中の正中線上を上に向かい、頭頂部を経て額を下降し、鼻柱に至っている。この督脈の陽気が振るわなくなると背中が冷え、精血で栄養されなくなると腰や背骨がだるくなり、頭が垂れ下がる。
『臨証指南医案』では、「首下がり病」の治療に《青囊》斑龍丸加減が用いられている。《青囊》斑龍丸加減の主薬は鹿茸、鹿角膠、鹿角霜である。鹿茸はシカ科の雄のまだ角化していない幼角であり、鹿角膠は雄鹿の硬化した鹿角を煮詰めた膠であり、鹿角霜は鹿角を煮詰めて膠を取った残りの骨の残渣である。
一般に、保険適用漢方エキス製剤の中の生薬は多くが奇経八脈に入らないので、奇経の病を治療することができない。ただ、上述した動物性の生薬を使用し、煎じ薬や丸剤を投与することができれば、督脈の関わる「首下がり病」を治療することが可能である。これらの疾病の治療法を習得することは、治療する機会がないこともあって、しばしば困難を伴う。漢方治療の中には、奇経八脈の病という奥深い領域があるが、ここは多くの漢方医の知らない領域でもある。