冬の朝、晴れ上がった空に丹沢の山々が美しい。素晴らしい景色である。が、慣れることができない。私の冬の空は曇り空なのだ。たかだか十代までしか過ごしていない博多の空をいつも思い浮かべる。自分が何者かわからず無性に騒ぐ胸を押さえながら見上げた空を思い出す。考えてみれば、その頃に自分というものは出来上がっていたのだ。
お昼、友人達とパスタを食べることにする。明太子スパゲティを注文し、食べてみると、それは明太子ではなく辛子明太子である。驚いて友人に言うと、なぜ驚いているのかがわからないらしい。博多で育った私にとって明太子というのは関東で言う「タラコ」であり、辛子明太子は、辛くない普通の明太子とはっきり区別される、特別の、高級な、どうかすると年に数回しか食べられなかった食べ物なのだ。したがって、私が今食べているこれは、辛子明太子スパゲティと呼ばなければならない、と力説しても、今ひとつ機微が伝わらない。「辛子明太子っていうのは、戦後ある夫婦が……」と長広舌を振るうが、それがどうした、関東では明太子は辛子明太子だと言われればおしまい。不本意なこと甚だしい。
ウドンを食べるときもそうだ。コショーを取って、と頼むと皆一様に怪訝な顔をし、洋胡椒を渡す。違うのだ、コショーってのは唐辛子のことだ、誰がウドンにペッパーなんぞをかけるものか。郷に入っては郷に従え、という。コショーはしかたがないにしても、明太子は断固として受け入れられない。なぜならば、これは博多の食べ物なのだから、と頑張り続けてきたが、そろそろ限界のようだ。
出張や帰省の際に立ち寄る博多の店で辛子明太子を明太子と表示したメニューが増えていることに気づいた。そもそも、博多の街を歩こうが、どこの街を歩こうが、東京の街を歩いているのと何も変わりがない時代だ。ファストフード、コンビニ、ファミレス、どこに行っても同じ。地方文化の均一化が進んでいることをしみじみ感じる。せめてふるさとの空は昔と同じであって欲しい。